2011年4月4日月曜日

東日本大震災

このたびの東北地方太平洋沖地震で、被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。また1日も早く復旧されますようお祈り申し上げます。


今回も、被災された皆様の冷静にして沈着な行動に対する世界中の賞賛の言葉と、それに比し東電の経営陣や政府の展望なき右往左往が目につきます。これは毎度のことで、太平洋戦争でも兵隊は強靭だが、将校の無能さが目に余ると言われたときと何も変わっていません。

私は、被災者の皆様も菅総理も東電の社長もみんな普通の日本人だろうと思うのです。この日本人の特性は東西南北10mまではよく見えていても、100m、1kmの先を見通すことができないとところにあると思うのです。イギリスのブレア元首相が政治の根幹を聞かれて、「一に教育、二に教育、三に教育」と言ったのに対し、菅首相が就任のとき「一に雇用、二に雇用、三に雇用」といったのを聞いて、この人は未来が全く見えていないと、がっかりしたことを覚えています。政治家がどう頑張っても雇用を増やすことは容易ではありません。政治家、ことに宰相たる者は遠い未来をみてそのために今何をしなければならないかを考えることが主たる仕事だと思うのですが、彼もまた周囲10mしか見えていないのです。たぶん彼は一般市民としては大変優秀で人望も厚いのかもしれません。それでもリーダーとなると疑問符が拭えません。

それではなぜこのように周囲10mしか見えていない人が組織のリーダーになるのでしょうか。そこに日本の特徴が現れています。日本人は四方八方10mは目配りが利くのですが、欧米人や中国人の場合は特定の方向に1kmでも見通せるが、それ以外の方向には1mも見えないということがあるのだと思うのです。

日本では99%が四方に目配りする人たちなので、1km見通す人を本質的に理解できません。そういう人をKYと評するのでしょう。そういった気配り人の中からリーダーが選ばれるのだから、1kmも見通すことのできる人がリーダーになるはずがないのです。

その違いが学校教育にも現れていて、遠く見通せる人間はクラスで排除されてしまうのです。不登校になる子ども達は、ほかの人より少し先が見えて、その分人よりよく見えない部分があるのだろうと思うのです。それを個性と捉えることができない学校が、本来であればいるはずのリーダーを潰していると私は考えています。


4月になり、息子も小学校に上がる年になりましたが、これから学校へ行かない生活が始まります。念のため、「入学式だけでも行ってみないか」と聞いてみましたが、絶対いやだと言い張っています。息子はこれからの12年間を家で過ごしながら成長していくと思います。このブログが12年続くかどうかわかりませんが、学校へ行かない子どもがどう育っていくか、できる限りご報告するつもりです。

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