2014年11月26日水曜日

学校不要論 学歴が社会を壊す

学校へは行く必要がないのじゃない。行ってはいけないのだ。

ダメな理由をいくつか挙げてみようか。


1 学歴が社会を壊す


学校は基本的に成績でふるい分ける。
成績は基本テストで評価する。

素行や、人間性でも評価すると言うが、
そういうものは個人(ほとんど場合先生)の主観であるから、
テストのほうがまだ平等だと言えないことはない。


テストはたまたま勉強してきたところが出ることもある。
大学受験にしてもしかりだ。

テストの問題は先生や教科書をいかにそのまま覚えているかで評価すること。

  • 歌がうまい
  • 冗談がうまい、
  • 絵がうまい、
  • サッカーがうまい


などは点数にならないので評価できないので、評価しない。
評価されるのは基本記憶力だけである。

記憶力も人間の持つ一つの能力ではある。
でも、百もある能力のうちの一つでしかない。


事業をやっていると役に立つのは情熱と洞察力だ。記憶力は必要ない。
覚えておかないといけないことはコンピュータにやらせた方が効率的だ。

にもかかわらず人を評価するのに記憶力だけしかないから

情熱も洞察力もない記憶力しかとりえのない人間が
大学に行き、官庁や一流企業に入社する。
そしてそういうやつが高級官僚や大企業の社長、銀行の頭取になる

成績のいいやつは基本、発想力に欠けていることが多い。
(すべてとは言わないが)

そういう人間は独創性のある人間を理解できないからとても嫌う。
そして、保身に走り、周囲に似たような人間を集めて満足する

これが日本を崩壊させているのだ

------------------------------
歴史を振り返ってみよう。

明治維新後と太平洋戦争の後、日本経済が急成長したのは
維新と戦争が学歴社会が崩壊したからだ。

意欲のある若手が急激に社会の頂点に飛び出してきた。
彼らが社会を根こそぎつくりかえ
世界が目を見張る急成長をさせた。

それが50年、70年たち若手だった人は退場する。

明治の元勲たちが世を去り、
戦後は松下幸之助や本田宗一郎が世を去り、

入れ替わり学歴で入社してきた秀才たちが支配層に入る。
そうなると井深や本田などの天才が会社に入っても潰される

そして、
戦前は無謀としか言えない太平洋戦争に突入し、
戦後はバブルで思い上がった末に崩壊した

明治の元勲が死の間際に日本の行く末を心配したそうだが、
結局、誰も止められなかった。

シャープが液晶工場の失敗で倒産寸前になって、社長が立て続けに変わった。
高橋社長は静岡大学大学院工学研究科の修士課程卒
水嶋副社長は大阪大学大学院物質創成専攻博士後期課程卒
大西常務執行役員は大阪大学経済学部卒

彼らは首を並べて失敗の原因を考えた。
彼らのだした結論は
「会長、社長になると神様になる。その人たちをきちんと補佐するには、下から意見を言えるようになっていなければならない」
「10年前からヒット商品がなぜ出ないのか。これが今日の不振を招いていると我々も思っています」。
水嶋は人材の質が低下したとはみていない。むしろ昔よりも平均的に知的能力の優れた人材が多く入社しているはずである。ユニークで面白い製品が生まれなくなったのは、やはり企業風土が変質したからだとの見立てだ。「上から言われたことをコツコツやっているだけでは駄目なんです。天の声の影響が末端まで広がっているというのが我々の認識です」。
そもそもこの認識が間違えている。
上も下も知的能力の優れた人材で固めていることが原因なのだ。

ユニークな製品が生まれないのは、
ユニークを抑圧する学校教育で優秀な成績を上げた知的な人たちが
会社に充満していること、そのこと自体に問題があるのだ。

端的に言えば「学卒採用試験制度」そのものに問題があるのだ


学校が現在の成績重視で、企業も学歴と入社試験でふるいわけている限り
日本の将来は見えてこない。

学校があるから、子どもと将来の日本はは不幸になるのだ。

➡ 次はバカを作る学校

0 件のコメント: