2011年5月14日土曜日

幼児教育について

息子はホームスクールを始める前にモンテッソーリの幼稚園に2年間行き、2年間サド ベリースクールに行った。その感想を書いてみたい。

モンテッソーリには主体性を重んじる教育理念に打たれて入れることにした。ここではとてもいい環境ですごせたと思っている。躾もきちんとしていたし、一人ひとりの個性に合わせた指導をして頂いた。ただ、息子を園に連れて行くと「お父様行ってまいります」と挨拶されるようになったのには驚いて、そして参った。ウチはそんな上流家庭ではないので止めて欲しいと正直思った。また、予想はしていたが、クリスマスなどにカソリックのミサをされて、無信心な私ら夫婦にはとても場違いな気分にさせられた。それにお受験教室的指導が行われていて、それは違うというわけで、本当なら4年のところ2年で辞めさせた。
それでも、モンテッソーリの理念は今でも正しいと思っている。いい経験にはなった。

次に行かせたのがサド ベリースクールである。ここはモンテッソーリより自由な理念が気に入って、わざわざ引っ越して入会した。息子はモンテッソーリのときを振り返って「かたっくるしかった」といったが、スクールはとても気に入っていた。毎日自転車で通い、体調が悪そうなときも休むかと聞くと「絶対やすまない」と答えた。ここで息子は18歳まですごすことになるだろうと思っていた。

1年たったとき事件が起きて、そこに通っていた息子を除く子供たちが一斉にそこを退会した。理由は色々あったが、私は止めるまでも無いと考えて、そのまま続けた。それでもだんだんスクールに対する不信感が募ってきて、結局その1年後に退会することになった。息子も特に異は唱えなかった。
一番の問題はそこの設立者の思想だった。私はテレビもテレビゲームも幼少時に触れさせるべきではないと考えていた。今でもそう考えて、家にもテレビは無い。息子もテレビやテレビゲームに触れることなく育ってきたが、スクールでテレビゲームを覚えてしまった。他にも考え方の違いがあってホームスクールにするしかないと考えるようになった。

モンテッソーリもサド ベリースクールも理念は正しいと今でも思っている。残念なことはどんなに理念が正しくても運営次第で理念が生きないこともありうるということを知った。

私は幼児教育で文字や数字をムリに教えるのではなく、遊びの中から物事の本質を捉えることが出来るように本人の自由意思を尊重しながら、その子らしい育ちが出来ればいいと考えている。
そういった意味ではいずれも本人の意思を尊重していると考えることが出来る。問題は親や教師の意思をどう伝えていくかということだと思う。
モンテッソーリは私の考えとは少し違う方向に誘導しようとした。サド ベリーでは全て子どもの思うままにさせていた。いずれもちょっと違うと思う。子どもを学歴社会に組み込むのはモンテッソーリの理念とは違うと思うし、親としては自由の中に子どもの将来の為に慎重に環境を整備すべきだと考えている。

そう考えるとやっぱりホームスクールしか選択肢は無いのかもしれない。

2 件のコメント:

Wisconsin Vegan Abolitionists さんのコメント...

シュタイナーで先生をしていたホームスクールのお父さんに「なぜシュタイナーに通わせないの?」と問いました。「オルタナティブといってもストラクチャーがあるし、なかなか一人一人のニーズに答えられない。」とのことだそうです。

とうはん さんのコメント...

シュタイナーもすごく興味があって調べました。近くになかったということと、人智学の思想がどうも私とは合わないと思って選択に入りませんでした。ただ教育という点に限れば理想に近いと思いますが、所詮子どもの教育を人任せにするという点ではその先生の言われるとおりだと思いますね。