2010年8月30日月曜日

学校はどう始まったか

学校教育という制度は250年ほど前にプロシア(いまのドイツ)で同一年齢の集団が一団となって進級していく仕組みとして登場した。それは19世紀にはイギリスやアメリカに、1982年に日本にも導入され世界中に普及した。だから世界中どこの国に行っても学校はほとんど同じ形をしている。

その当時、産業革命が起きて紡織工場など大量生産が世界中に広がった。そこでは職工が横一列に並んで一斉に同じ作業をしていた。それまでの産業は家内産業がほとんどで、作業の方法手順は産業ごとに全く違っていた。しかしながらそれでは大量生産にはそぐわない。つまり、国民を家内産業から引きはがして工場生産に合うように意識革命をしなければならなかった。だから、学校の目的が当時の産業の要請に合わせたものであることは歴然としている。
もうひとつの時代の要請があった。それは軍隊である。それまでの騎士すなわち職業軍人同士が剣をふるって闘っていた戦争は、国家による総力戦に代わり、職業的訓練のない国民を総動員しなければならなくなった。そうなると死ぬのが嫌な人(みんなそうだ)を、死を恐れない兵士に仕立てないといけない。それにも学校は利用された。

目的に合わせて校舎を作り、先生という特殊な職業を準備した。その後、産業の仕組みが変わり、今の工場には人っ子ひとりいないラインに製品が流れている。そうすることができない工場は日本から途上国に移転してしまった。戦争についても徴兵制はすでに多くの国で廃止され、戦争は職業軍人に戻された。にもかかわらず、学校という仕組みは何も変わらずに現代に続いている。

時代は独創性の豊かな人か、コミュニケーション能力にたけた人が求められている。しかるに学校でそのような教育がされていると言えるだろうか。私は学校の構造的問題でそのような教育をすることは無理があると考えている。というより二律背反といえるだろう。


言葉
教育なるものは空虚な主張であり、しかもその主張を実現するために、学校は経費と精力を浪費し、子どもに際限もない退屈を我慢させ、そのあげく大したこともできずに終わっている」カール・ベライター

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