2012年5月26日土曜日

ホームスクールの抵抗勢力

すみこさんが実践に基づき投稿しているので、私の出番はないのですが、こういう見方もあるというぐらいで、チョコちょこっと遠慮がちに。(どこが)

家族に反対されると結構大変ですね。
特に旦那さんに反対されるとこれはなかなかつらいと思います。で、夫婦で意見が分かれたときの対策は置いておいて、それ以外の家族の反対に対する私の考えを書いてみます。
まず第一にすみこさんも書いていますが、親権は当然親にあります。祖父母と言えども孫に対する親権はありません。法的に言えば他人と同じです。かと言って、同居している祖父母の場合は無視するのは大変難しいでしょう。

ホームスクールに反対する人たちは、99%普通に学校は経験していてもホームスクールを経験していないと言ってもいいと思うのです。と言う点で反対する人たちは思い込みでしかありません。
つまり、ポロパトを食べたことがない人がポロパトはおいしくないと決め付けているのと変わらないといえます。ポロパトを食べた人がいくらおいしいといっても食べないと分かりません。つまり水掛け論になり、どこまで行っても話は平行線なのです。ちなみにポロパトという食べ物はありません。

これで終わりにしちゃうと、怒鳴られそうなので続けます。

まず第一は子どもの意思ですね。子どもが学校へ行きたいと思っているなら学校へ行かせることになり、誰も文句をつけませんね。問題は学校へ行きたくないという子どもがいた場合、ホームスクールのよしあしの前に、子どもの意思を無視してでもいかせるか否かという点を論点にしないといけないと思うのです。相手がそれでも行かせるべきだと考えているなら、そこはどうしても譲ってはいけない点だと思います。
祖父母の場合は孫が可愛いと思っているはずです。だから学校へ行かないことに対して大変な不安があると思うのです。不安な点はこれまでもこのブログで何回も出ていると思いますが、
  1. 社会性
  2. 教育
  3. 世間体
  4. 学歴など将来不安
それらの不安を一つ一つ反論するのも一つのやり方かもしれませんが、さらに大きな不安材料を話題にするのも一つの方法です。

命の危険

昨年は1年間で1000人の少年少女が自殺しています。つまり、1日に3人子どもが死を選んでいるのです。そのほとんどがいじめなど何らかで学校に原因を求めることができます。
無理してでも学校に行かせてそれが原因で死ぬようなことがあれば、親は一生悔いることになるでしょう。さらに自死を選んだ子どもの多くは、そのことを親にも相談しなかったと言うことです。

なぜ相談をしなかったか?

それは親を自分の味方だとは思えなかったからじゃないでしょうか。「学校へ行きたくない」と言う子どもを「何を言うか」と学校に行かせたからだろうと思うのです。子どもにとって親は最後のよりどころです。その親にも頼ることができなかった子どもの気持ちはいかばかりだったか。
子どもを殺す気か!
とまで言っちゃいけませんが、そのくらいの気迫をこめて、

将来の不安材料

学校へ行かないと、無学歴または中卒で卒業することにならないか、という心配があります。中卒ではろくな仕事はないだろう。と心配してしまうのです。ところが実際は中卒だろうと、学歴がなかろうが仕事ができればそんなことはどうでもいいのです。
今の時代は言われたとおりのことをしていても評価されません。企業が生き残るのに必死で学歴で給料を払うほど余裕はありません。仕事ができるということはどんな状態でも工夫ができる人なのです。

現在の学校は私たちが通っていたころの学校とはまったく異なっています。昔は学校の管理は結構ゆるくて先生の目を盗んで悪いことをする子も相当いました。(たわいもないことですが) その後校内暴力などを経て学校の管理が厳しくなり、一挙手一投足が先生たちによって記録されています。(内申書など) その中で子どもたちはたわいのないことでも悪さができなくなっています。悪さができないということは子どもの成長に大変な障害を残します。

簡単に言えばバカになるのです。

少年のとき悪さを経験しないと言うことは、つまり自分の能力の限界が分からないと言うことなんです。子どものときいろんな経験をしてこれ以上やるとやばいと言う記憶が大人になったときの規範になると思うのです。また野山を駆け回って怪我をしたり、危ない目にあうのも同じことです。
今の子どもは学校の時間は先生の監視の下で限られた遊びしかできません。家に帰れば宿題があり、さらに塾に通い、合間があればTVゲームしかしていません。TVゲームはゲーム作成者の世界です。プログラマの意図を測ることで高得点を取ります。学校は先生の意図を測ることで成績上位になれます。つまり、人の意図を測ることに長けるのです。これを言い換えると人の意図以上のことは考えられなくなるのです。
仮にいい学校に行き、それなりの学歴があっても、自分の判断が信頼されない学校生活を過ごしてきたため、他人の判断にゆだねる精神構造になり、オウム真理教のようなカルトに巻き込まれることもあると思うのです。私の同年輩の人たちの子どもの3割程度が引きこもっているか、社会と不適合を起こして貧しい生活を余儀なくされてます。

それに比べてホームスクーラーは、おとなになっても豊かで穏やかな生活をしています。

ほんの20年前までは企業は指示されたことをきちんとできる人を求めていました。そういう時代はもう終わりました。今はどこにいても独自性が必要なんです。会社は上司の指示がなくても自分で考えて、ほかにはない独自の何かを考える人しか要りません。いわれたことしかしない人は給料がただでも要らないのです。

少年時代に悪さをした子は工夫をする子なんです。なぜなら悪さには教科書がないからです。そういう意味で学校で優秀な子どもほど適応力がないということです。つまりバカなんです。

子どもにこんな不安な人生を送ってほしいと思っているのでしょうか。

世間体

学校信仰が強い人ほど、学校へ行かない子どもが家にいるということだけで恥ずかしく思うのでしょう。そういう意味ではホームスクーラーの親はあまり世間体を考えない人たちでしょう。
なぜ恥ずかしいかといえば学校へ行くのが当たり前だと信じていて、行かない子どもを見ると「どこかおかしい子」と思ってからだと思います。それがうちの子なので落ち着かなくなるのでしょう。なぜ学校行くのが当たり前で、行かないとおかしいと考えるかというとそう言う時代を生きてきたからじゃないでしょうか。

世間は常に変わります。数十年前には女が大学へ行くことは世間に顔向けできない恥ずかしいことだったのですが、今は学生の半数以上が女子です。実体のない世間に振り回されてつまらない人生を送るより、本人たちが信じる道を信じてあげてほしいなと思います。世間が子どもの将来の生活の面倒を見るわけではありませんから。

世間は食べさせてはくれません

この世間体は日本の文化ですから、アメリカ人にはあまり理解できないかもしれませんね。

本を渡して読んでもらうのもいいかもしれません。

次の2冊をお勧めします。
  • バカをつくる学校 ジョンテラーガット
  • DROP OUT―中学生学校と闘う 佐々田 純子
バカをつくる学校は私が学校への意識を変えた本で、妻はこの本Drop Outで意識を変えました。

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こどもたちに、わかりきった道を示すのはよしてくれ。
どうしてもというのなら、人生の魅力だけを教えてほしいんだ。

ジョルジョ・ガーベル(イタリアのシンガーソングライター)

1 件のコメント:

Wisconsin Vegan Abolitionists さんのコメント...

ポロパトって面白い。大体、自分の知らない世界は不安がいっぱいなんですね。先日、夫の実家を訪れたら、おばあちゃんがうちの息子に、ベイビーのスペル言ってごらん?って質問してました。複数にするときはYをIにかえて・・・と教えてましたよ。息子はシラッと呆れ顔。
とにかく親のかこたる自信が必要なのかも。。

またまたメンバーさんが増えていてうれしいわ~。

アメリカ軍へ。ハッピーメモリアルデーウィークエンド!!