学歴について考察してみたい。
学校へ行かないと学歴がなくなる、もしくは中卒になってしまう。というものである。確かに息子が成人した時就職できるかという心配はないでもない。でも、日本の学校や子どもたちの閉塞状況を変えるためにも学校へ行かない道があると言うことを証明したいと考えている。
学歴の価値
私は日本の学歴には、もはや価値はないと考えている。
今、大学卒の学歴があっても失業している人はいっぱいいる。就職浪人も3割を超えているそうだ。いいかえると学歴があれば終生食うに困らなかった時代は終わっている。終わっていないと考えているのはお母さんたちと、先生たちだけだろう。子どもたちも薄々感じているし、お父さんたちは骨身にしみているはずだ。
20年前に世界中が資本主義経済に組み込まれた結果、同じ仕事なら日本から賃金の安いところに行ってしまい、単純作業が消えた。次は高度な知的作業も消えるだろう。残るのは役に立つ人材だけだろう。
役に立つと言うのはどう言うことだろうか。
たとえば自動車会社を例にとると、画期的なエンジンを考えることができる人や、黙っていても売れる仕組みを考える人が役に立つということで、そういった人に辞められて競争会社に行かれると大損害になるので必死に止めるだろう。そうでない人はいつでもリストラ候補生だ。
そういう役に立つ人はどうして育つのだろう
何とか就職できたとして、年齢を経るに従い、言われた仕事をこなすことから、自ら仕事を考え、他人に指示する立場になる。そのとき、学校で言われたとおりに授業を受けて、先生の言うとおりに答えを書いて正解とする考え方に浸った人は自ら考えることが難しい。さらに他人に指示をして仕事をさせるのはさらに難しい。学校を出てから、自立をし多くの人を差配する立場に自らを置き換えるための努力が必要になる。その作業は教わってできることではない。自ら考えることを習慣としてきた人だけにできる作業である。そのためには子どもが人間として尊重されていると言う自覚を持てるように育てられる必要がある。
学校へ行ってもそういった才能をつぶされなかった人もいることはいる。しかし、日本の学校がそういった人材を育てようとしているだろうか。「自立する人を育てる」という言葉だけでは駄目である。先生の言うことに逆らう生徒を愛でる気があるといえるだろうか。私はほとんどないと思う。
本当の学歴とは
今の日本の経済は、終戦の価値の大転換を経て、学校教育の混乱時に自ら考えて成長せざるを得なかった人たちによって成し遂げられた。本田宗一郎しかり、松下幸之助しかりだ。彼らはどんな時でも、容易には我慢しなかった。仮に学校に行き、我慢を覚えていたら、多分大企業を作ることはなかったと思う。私達は彼らの遺産の上で食べている。
本当に学歴を重視するなら、世界のトップ10位に入る大学院の卒業証書が必要である。 日本の大学はあの東大でも10位にすら入れない。しかも誰も大学院へは行こうともしない。日本以外では学歴といえば大学院を卒業することが目標である。
それでも日本の学歴がほしい
どうしても日本の大学に行きたければ、高卒認定を受けて大学受験したらいい。ただ漫然と高校まで通った子どもより、ホームスクールをした子どもたちは勉強の意味をよくわきまえているので、ほんの短時間猛勉強しただけで簡単に合格できるだろう。
無学歴の生き方
全く学歴がない人は就職すらできないと思いこんでいる人に、横浜の林市長が立派な反証になる。彼女は求人もしていない外車の販売会社に行って雇ってと言い、女性には無理と言うのを頼み込んで入社して、立派な成績を上げ、社長まで上り詰め、今は市長をしている。
それもかなわなければ事業を興してもいいだろう。実業の世界では学歴は無用である。
学歴はなくてもかまわない、必要なのは生きる意志だ。
言葉
「子どもに自由を与える目的はふたつ。ひとつは、子どもが自分の興味を十分に追及していけるようにするため。そうすれば子どもの人生も心も豊かになっていく---それも今その場から。そしてもうひとつ。子どもが心の声に耳を傾けていけるようにする。その声に従っていけば、その後の人生も、道を誤ることなく歩んでいけるだろう。」グレース・ウェリン&エイミー・シルバー
1 件のコメント:
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
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