英語を勉強して、外国語の新聞や記事、本を読んで勉強しようとしたら、すぐに気づくことですが、その国の小学校、中学校で習うような科学用語や歴史用語、社会制度用語が分からないと、社会人が読むようなものは全く手も足も出ないんです。これらは別にその国で普通にテレビを観たりと普通に生活することでもある程度は身に付くと思うかもしれませんが、一回学校で教えて貰ってるのとそうでないのとでは大違いです。これにはいくつもの矛盾点があり、小学校中学校で科学用語や歴史用語、社会制度用語を英語で教わるのでしょうか。それとも日本語でそのような言葉を習っておかないと英語でもわからないということでしょうか。
さらに、一回学校で教えてもらっているのとそうでないのでは大違いと言っていますが、どう違うのでしょう。
この時代の変化の激しい時に、学校を卒業してから初めて見ることは嫌っと言うほどあります。それが身につかないなら新しいことはすべてマスターができないということになってしまいます。
学校で勉強しまいが、そうでなかろうが、結局は同じです。
たとえ学校で教わっていても、必要な時にはもう一度勉強しなおさないと使えません。
学校は所詮時間の無駄遣いでしかないと思うのです。
でも学校は利害が絡んでいるのでなくすことができません。
問題はそのしわ寄せが子どもたちに来て、やらなくてもいい苦労をさせているのです。
今の子どもたちは夜遅くまで宿題に追われ、塾に通い、テストのために心を悩ませています。
それが子どもを深く傷をつけているということになぜ気づかないのでしょう。
子どもはもともと遊ぶために生まれてきているのだと思うのです。
途上国のテレビもない国の子どもたちは明るくてキラキラした瞳をしています。
子どもたちはお金も勉強もいらないのです、友達と山や川を走り回ることが一番楽しいのです。
日本の子どもたちが塾の帰りにリュックをしょって夜遅くコンビニの周りでゲームをしている姿を見ると本当に悲しくなります。
学歴が欲しいだけで学校に行くのではなく、勉強をしたくて行くのが学校です。
その勉強をしたくなるためには思う存分友達と土や木や花や水と遊ぶことが必要なのです。
人間にとって自然がすべての原点です。
そこから始めることで自分が何をしたいかが見えてくるのだと思います。
そうして初めて、勉強したくてたまらなくなるのでしょう。
赤ちゃんの時は聞くこと、歩くこと、話すこと、絵を見て、描くことが楽しかった
それを寄ってたかってつまらないものにしているのが学校なんです。
まだ羽根も生えていないのに、飛ぶ練習をさせるのはやめてほしいのです。
飛ぶことが嫌いになってしまいます。
自分が飛べるようになってから、飛んで見たいという気持ちになって、
それから青空の中よたよたと羽ばたいていってほしいのです。
それまでは親の庇護の下、存分にひなを楽しんでほしいなと思います。
つぎは なんで学校がこうもつまらないのかを考えてみます
1 件のコメント:
非常に同感です
特に、税金負担はやめて頂きたいです
いろいろ「無形の経験を得られる」等々いう人がいますが
学校がそんなに素晴らしいところなら
完全民営化されても根強いファンが支えるはずですよね?
一度それを見てみたいものです
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