みかんさんのブログを見て、私なりに考えていることがお役にたてばと考えました。
全く見当違いであれば、お許しください。
ホームスクールをするにあたって決めたことが四つあります。
一つはテレビを見ない。
二つは叱らない。
三つは意見を聞く
四つは勉強はしなくていい
もっとも1から3までは0歳から実行していました。
最後の4が小学校へ行く年に追加されました。
前にも書いたかもしれませんが、今回まとめてみました。
テレビを見ない
テレビを見せると子どもから大事な時間を奪います。さらに自ら行動する意欲を減退させます。また生命にあふれたリアルな自然から子どもを遠ざけます。
そこで大切なことは親もテレビを見ちゃいけません。親が見ておいて子どもに見るなというのは悪影響しか与えません。
知性というのは生活体験と科学知識の二つから成り立っていると思うのです。テレビを見ることでかりそめの科学知識は獲得できますが、生活体験が未成熟なまま では机上の空論を振り回すようになります。かといって生活体験だけだと旧石器時代の生活になってしまいます。生活体験という基礎の上に科学知識を積み上げないと立派な建物はできないと思うのです。生活体験というのは身体を使う遊び、喧嘩、お手伝い、山登り、魚釣りなどです。その体験が厚ければ厚いほど科学 知識を高く組み上げることができるはずで、高い知性を持てるようになるでしょう。
テレビは人間に物を考えないようにさせます。
叱らない
叱られると、幼い子どもでは原因を理解する方にはいきません。なぜ叱られているかわからないと、怖いと言う恐怖だけが残ることになります。次に叱られないようにすることはありません。叱られた恐怖だけが残り、叱られた時どうふるまえばいいかというテクニックだけが上手になるでしょう。
あるいは弟あるいは飼い犬を叱るのがうまくなります。
さらに問題は叱られないためにうそをつくことを覚えてしまいます。
次に叱る親を信用しなくなります。それが言うことを聞かないという状態だと思うのです。
真剣に怒ることはいいのですが、怒鳴ることはいけないと思います。怒った時は声のトーンを落としてゆっくりじっくり理解させながら話をします。
叱られると子どもは嘘をつくようになります。
意見を聞く
どんな時でも子どもの意見を聞きます。例えば1歳か2歳でお店で洋服を買う時も2着持ってきて鏡の前でどっちがいいと聞きます。年齢が上がるに次第、だんだん複雑なことに意見を聞くようになります。いまなら、算数の勉強する?それともおやつにする?と聞きます。
ま、大概おやつを選びますが。
すると自然に自分で物事を決めるのが当然と思い始めます。
だからとても生意気になります。どうしてもだめな場合以外は子どもの意見を通してあげます。
やがてどんなことでも意見を持つようになり、こちらから聞かなくても今何をしたらいいかを考えるようになります。そうなると自分が必要だと感じたとき勝手に勉強もするようになるでしょう。
どんな時でも意見を聞くと言うことは、子どもは常に自分の意見を持っていないといけないと言うことです。
勉強はしなくていい
勉強はしなくていいではなく、12歳まではする必要はないとも考えます。うちの子が勉強が嫌いなら、別にそのままにしておきます。無理して教えても全く意味がないと思うからです。聞いた話ですが、同じ年齢でも頭脳の成長に前後3年ぐらいのずれがあるそうです。早く覚えたい子はどんどん覚えていきますが、勉強より自然や人間関係が好きなら、そちらに気が取られて勉強ははかどりません。はかどらない勉強を無理してすると、科学知識だけが先行し生活体験がおろそかになります。
大人でも子供でもペースというのがあると思うのです。誰でもが100mを10秒で走れるわけではないのです。知識もその人に合ったペースで習得しないと空理空論を振り回すだけになってしまうのではないでしょうか。 それに勉強しろといわないと勉強しないのではないかと多くの親は考えますが、するなと言われるとしたくなるものです。
今勉強をやらないのは今は必要ないからです。 誰でも必要になればやります。
うちの子は正直勉強が好きです。それで喜んでいるわけではありません。生活体験の裏付けのない科学知識は均衡のとれた知性に育ちえないと考えているからです。だから何とか生活体験をさせようと色々と工夫しています。
Mさんの子どもたちが、一日遊ぶ-喧嘩する-遊ぶ-喧嘩する-遊ぶとブログにあった時、申し訳ないですが大笑いしてしまいました。うちの子どもは一人ですからこの繰り返しはありません。強いて言えば私が彼の兄弟代わりになって喧嘩をしてあげています。
私は子どものときは遊ぶこと喧嘩することが最大の勉強だと思っています。勉強は基本的に人から与えられるものです。それが将来どう役に立つかはよくわかりません。それに比べ遊ぶことも喧嘩することも子どもにとって創意工夫を必要とします。彼らはその訓練を毎日しているのです。そういう意味で、Mさんのお子さんたちは素晴らしいと思うのです。
小さい時いっぱい喧嘩をしていないと大人になって刃物や銃器を持ち出す喧嘩になると言います。子どものとき目いっぱい遊んでいないと、大人になってから変態的遊びにふけることがあるとも言います。
ホームスクールをするということは子どもが自ら成長することを横から見守っていくことだと思うのです。ここで芽を出さないとおかしいからと、引っ張ったら木は枯れてしまうかもしれません。学校では毎日子どもたちの芽を摘んでいますが、私がホームスクールを選んだ以上自分の子どもの幸せ一杯な眼を見て行きたいと思っています。