2016年11月22日火曜日

ホームスクールの学び

子どもと一緒に育ってきた。

0歳の時、家のテレビを捨てた。

小さい時から絵本を次々買っては読んであげていた。
子どもはみんなそうなのかもしれないが、同じ本ばかり何度でも読ませる。
こっちは「またかよ~~」とめげていたのが今となると懐かしい。

おもちゃは木製の電車レールが大好きだった。
面白そうだと思って買ってきてもほとんど遊ばなかったものもある。
少し成長してから、嵌ったのはカプラだった。
友達が来るたびに部屋中に広げて遊んでいた。

乾物屋でいろんな豆を沢山買ってあげたら
それを毎日部屋中にまき散らして遊び、片付けが大変だった。

息子が1歳半ぐらいで歩いて言葉もできるようになったころ、
出かけるとき電車の駅、階段の前で二つから選ばせる
私「階段にする? エスカレーターにする?」と聞く
息子「エスカレーター!」
半年後
私「階段にする? エスカレーターにする? それともエレベーター?」
息子「えーと....階段!」
三つのうちから選ばせる。
という風に、自分のことは自分で決めるように持って行った。

2歳のころGAPに息子と一緒にTシャツを買いに行った。
似合いそうなシャツを探して彼に見てもらった。
でも鏡がないとわからないので鏡を探した。
ところがKIDS売り場に鏡が見当たらない。
そこで店員に鏡はと聞いた。
店員は、鏡はKIDSにはなくて、大人の売り場にありますと答えた。
何でないのと聞くと、
子供の服は親が決めるので誰からも聞かれたことがないと言われた。
大人の売り場で息子にあてて見せたら、
息子は、違うのがいいと言って、別のシャツを持ってきた。
凄い派手で、驚いたが買ってあげた。
結構似合っているのでもう一度驚いた。
みんな子供の服は子どもに選ばせないんだと思った。

2歳から4歳まではモンテッソーリ幼稚園に通っていた。
毎日、幼稚園で自分で選んだ教具を使って自分が満足するまで遊ぶ。
先生は一番最初にやって見せるだけであとは一人でやっている。
守らないといけないのは自分がやりたい教具をほかの人が使っている間、
終わるまで、横に座ってみていないといけないこと。

4歳になった時、仕事の都合でサドベリースクールに転校した。
そこでは勉強はしないで朝から晩までただひたすら遊んでいた。
みんなと毎日のように氷鬼をやっていた。
ある時そんなに氷鬼ばかりで面白いのと聞いたことがある。
むすこは「毎回違うんだよ。」
「昨日、こうやったら捕まえられたとするだろ、」
「次の日、相手は変えてくるんだ」
「こっちも、変えてくるだろうと予測してその裏をかこうとする」
「さらに相手はそのまた裏をかいてくる」
「常に状況は変わるんだよ」
「だから、いつも新鮮で面白いんだよ」
私、「なるほど」

これって、実社会と何ら変わらないじゃないか。
子どもは遊びの中から社会の仕組みを学んでいくんだ。
遊ばないで教室で座って勉強しても、こういうことを学ぶことはないだろう。

家では歴史漫画と科学マンガが好きで毎日繰り返し読んでいた。
文章(漢字)の読みは歴史マンガで覚えていた。
三国志が大好きで全巻古本で揃えた。

6歳の入学前に小学校の教室見学会があり妻と二人で出かけていった。
返ってきたのでどうだったと聞くと
息子「つまらなそう」
私、「なにが?」
息子「みんな前を向かって座っているだけで、誰もしゃべっていない」
「あんなの嫌だ」
私「それで、どうする?」
息子「学校へは行かない」
私「そうか」
息子「ドラえもんを見ても、いじめっ子がいたりつまらなそうな宿題をしている」
「どこがいいかわからない」
私「そうか、行きたくなければいかなくてもいい」
以来、息子は絶対に教室に行こうとしなくなった。
新年度ごとに
私「一度ぐらい行ってみたほうがいいんじゃないか。」
「みんな学校へ行っているから、大人になった時授業を受けたことがない。
では話題に困るんじゃないか」と言えど、「いい」と答えていかなかった。

勉強は私が教えていた。
教えた時間は週に4回ぐらい、1回15分程度。
主に算数(数学)、国語(漢字書き取り)

4歳になって算数(割算)はこうして教えた。
ここにイチゴが6つあるとする。
お父さんと二人なら、一人何個になる?
息子「3こ?」
私「そうだ」
私「そこにお母さんが来た。」
私「『私の分は?』と聞いてきた、やばいね」
私「じゃ、何個ずつにすればいい?」
息子、しばらく考えて「2個?」
私「そうだ、6÷2=3 6÷3=2、と書く。これを割算という」
息子「なるほど」
私「じゃあ、12個ならどうなる?」

これで割り算は終了。

どうせ自然に覚えるから九九は覚えようとしなくていいと言った。
8歳ぐらいまでいくつか怪しかったが、今は全部間違えなくなった。

息子の到達レベルを見て
ほんの少し難しいと感じるあたりを狙って質問を投げる。
簡単に解いたら、さらに難しくする。
解けないと、少しレベルを下げてまた質問。
分かるところまで下げて、分かったところから少しずつレベルを上げていく。
できれば、最初に投げた質問のところまで戻っていく。
解けたらそれでおしまい。復習も予習も宿題もなし
子どもがもっとやりたがってもやらない。

何日かしてさらに難しい問題を投げる。
これを少しずつ繰り返していく。
図形(幾何)も同じ方法で立体まで覚えた
算数(代数)は2次方程式まで行った
そこでイギリスに行って終わり。

よく「漢字しりとり」をやった。
私が漢字を書いて、その部首を使った別の漢字を息子が書く、
息子は漢字辞書で探してもいいとして二人で延々と続ける。
息子は面白がって何度もやりたがった。

教えたとき気を付けていたこと、
金輪際、絶対叱らない
そして基本的に怒らない。けっして怒鳴らない。
息子を一度も叱ったことはないが、怒ったことは数回ある。
そういうときは、「お父さんは怒っている/困っている/悲しい」という。
本心から嬉しい時は褒めるが、無理して褒めない。

基本的に親子といえど対等の関係だから、
息子が嫌がったらやらない。私も嫌ならいやだという関係を保つ
叱ると親子の間で上下関係が生まれる。
結果としてどうしても無理強いしてしまう。
楽しくないと学習効果は上がらないと思っている。
さらに、それを無理するから怒鳴ったり、叩いたりする。
結果的に学習効果がないだけでなく、親子の関係も冷たくなる。
叱ることは百害あって一利なしである。

そして今。
毎年小学校の教科書はもらってくるが、
息子が一通り見て、どれも簡単すぎと言って二度と見ようとしない。

小学校の授業は全員が同じことを同じ時間にやる。
それでは早い子はつまらないし、遅い子はついていけない。

どんな親でも一日15分なら教える時間はあるだろう。
それで普通なら小学校で教えるぐらいのことは学べる。

なんであんなつまらない授業をみんなで受けないといけないのかわからない。
基礎部分だけ親が教えてあげれば、あとは自分で考えて学習すればいい。
そのために自分の道を自分で選ぶという習慣をつけておくことが必要だと思う。

自分で勉強するようになればユーチューブでいろいろ勉強できる。
最近https://www.youtube.com/watch?v=LKGI4CyAcNwを見て感激した。
大学の授業もインターネットで公開されるようになった。
無料で受けられて、優秀だと大学から呼ばれるそうだ。
本当に大事なのは学歴ではなく実力だと思う。

8歳になり、私が教えているだけでは不安を感じ始めた。
アメリカなどいくつかの学校を三人で見て歩き、
最後に見たサマーヒルスクールで本人にどうすると聞いたとき
息子は「おそらく…」と答えた。

9歳の春一人でイギリスに発っていった。
2年半たち一年の3分の2は寄宿舎にいる。
授業料も高いしそろそろ帰ってくるかと聞くが、絶対に行くと。

息子とのやり取りはだいぶ少なくなっているが
彼は私との学習の中から自分なりに必要とする授業を自分で選んで受けている。
英語、数学、IT、ドラムは受けているらしい。
(サマーヒルでは授業を受けたくなければ受けなくても一向にかまわない)

イギリスはMathのレベルが低いと文句を言うので、
もっと上のクラスに変えてもらえばと言うと、
英語が分からないからいいと答えた。

今年の夏家族でヨーロッパを旅行してまわった時彼の英語の素晴らしさに舌を巻いた。
(はじめは私が教えてたんだけどね)

遊びと勉強と分けるのがそもそも間違えで、
遊びを通じて学ぶ、学びの中に遊ぶというか、

子どもが生きるということは遊びも学びも混然一体じゃないかと思う。

2016年11月19日土曜日

2045年問題

いわゆるシンギュラリティである。

シンギュラリティとは
技術的特異点(シンギュラリティ)とは、未来研究において、正確かつ信頼できる、人類の技術開発の歴史から推測され得る未来モデルの限界点を指す。簡単に言えば、「シンギュラリティ」とはコンピューターの知能が人間を超える現象、またはその瞬間を意味する言葉。(Wikipedia)

グーグルの自動運転技術は実用化直前まできている。タクシーやトラックの運転手はいらなくなるだろう。人間の運転が禁止される時が来るかもしれない。

グーグル翻訳はかなり使えるところまで来て、実際にヨーロッパで使ってみたが、時間はかかるが短文ならほとんど問題なく使えた。帰国後バージョンアップされかなり長文でも理解可能なレベルになっている。通訳はいらなくなるだろう。


チェスも将棋も囲碁もコンピュータにすでに負けている。

裁判もコンピュータのほうが正確で公平に判決をかけるのではないかと言われている。


また耳にはめるだけで使える翻訳機Pilotが近く発売される。

人工知能はかなり実用的になってきていて、2045年より前に実用化されるだろう。

コンピュータは
  1. 寝ない
  2. 忘れない
  3. 死なない
の3要素からして劣化することはありえない。

さらに、コンピュータ同士のデータの伝達も間違え、勘違いがない。
そして、コンピュータはどんどん細小化し見えなくなる。
必要な知識はメガネか、イヤホンまたは脳に埋め込まれたコンピュータが
直ちに知らせてくれるようになるだろう。


知識のあるなしは問題にならない、
私たちの子どもはそういう時代を生きていくことになる。
そういう時代に何が必要かといえば知識ではない。


情熱と創造力だ。
どんなにコンピュータが進化してもこの二つは簡単には実現できない。
(少なくとも今の子どもたちが生きている間は)

にもかかわらず、学校は相変わらず知識の伝達に全力を傾けている。

正確に言えば文科省はそのことに気が付いているようである。
このままでは日本は世界から置いてけぼりになるという危機感はある。
にもかかわらず、教師や教育関係者には危機感がうかがえない。
さらに親である大人にも危機感がない。

その原因の一つが知識の断片テストである大学入試である。
ゆとり教育はその目的は正しかったし、成果もあったが、
大学をそのままにして小中学校を改革しようとしたがゆえに潰された。
そのため、今回は文科省は大学入試の改革に乗り出した。

しかし、そのことの意味を教師も親たちもまだわからないようだ。
相変わらず従来通りの内申書と受験塾に邁進している。

その結果がいじめ問題である。
虐めは閉鎖空間かつ価値観を強制するところに生まれる。
この小中学校において教師や学校が持つ斉一的空間が、
子どもをして環境隷属の精神を作り上げている。
それによって追いつめられてしまう子どもがより弱い子をいじめることで晴らし、
虐められる子は教師と虐める子の双方によって追いつめられる。
というよりいじめっ子は教師の潜在意識により操作されていると私は睨んでいる。
さらに親からの学校は行くものという常識の押しつけで、
子どもは逃げ場を失い自殺にまで追い込まれていくのだろう。

つまりいじめ問題は学校問題である。

いつでも逃げられると思えばいじめは発生しようがない。

ブラック企業やサービス残業は学校の持つ閉鎖強制環境になじんだ子どもたちが大人になっても自力で脱出させないように環境隷属精神を叩き込まれているからだと思う。

話題が少しずれたが、この環境隷属精神でシンギュラリティの時代に生き残れるはずがない。
なぜなら、環境隷属の精神では情熱も創造力も押しつぶされてしまうからである。

とにかく今は勉強しろ、好きなことをやりたければ大学に行ってやれ!
と親たちや教師たちは言うが、好きなことをやるべき時は12歳までで
18歳になるともう頭は出来上がっていて柔軟な発想は死ぬまで出てこない。

その結果が、20年も成長が止まった貧困国日本である。

だから私は子どもを学校に行かせることに反対している。
もっともいい方法はホームスクールだと私は考える。
親が子供の成長に合わせて指導できる。

短い期間であるがうちもホームスクールをやった。
その結果小学校へ行く必要は全くないというのが結論である。

ちなみに、私が教えたのは週に4日、一日15分。他の時間はずっと遊んでいた。
それでも小学校の教科に遅れることはなかった。
(そのことは改めて書いてみたい)
子どもが30人もいて、先生が個々の生徒に合わせて教えるなんて無理だ。
10人でも難しい。でも1対1なら簡単。親が教えるべきだと思う。

次善としては小学校や中学校では子どもが学校や教師を選べるといい。
教師が選択できるならうちも小学校に行かせていたかもしれない。
うちの子は現在フリースクールの寄宿舎にいる。
今息子が行っているフリースクールは子どもが先生を選んでいる。

その結果何の不都合もない。

子どもは授業がおもしろいから受けていると言っている。
先生は選ばれるために授業に工夫を凝らしている。
子どもの機嫌を取るために遊んでばかりだと、逆に見限られてしまう。


また、大学の受験を改革するのもいいが、
大学への国の補助金の在り方を変えるべきではないかと考えている。
今は学生数に応じて補助金を出しているが、これが諸悪の根源だと思う。
それゆえ大学は学生を入れて卒業させることに熱心だと聞く。
だから日本の大学はほとんど留年も中退もない。
入学さえすれば卒業はできる、だから有名校受験で猛勉強し、
在学中は遊んでいてほとんど勉強しない。
それに対し欧米の大学生は在学中に猛勉強するのでそこで能力的に抜かれる。

大学生や卒業生の書く論文の引用率に応じて補助金を出す方が良くはないか。
そうすれば、大学は研究や論文の指導に目の色を変えるだろう。
今は論文の引用数はGoogle Scholarですぐわかる。

すでに日本は貧富の差が生まれていて、貧困家庭の子は貧困を引き継ぐ傾向がある。
東大を出ても大企業の流れから外れると貧困に落ちる状態である。
今までの考え方で無難に生きていくことが無理になっている現状があり
時代の本流が激変していることに対する無理解が貧困を生んでいると言える。

トランプがアメリカ大統領選挙に勝ったが、
彼は中国からの輸入に関税をかけて仕事を増やすと言ったが、
給料が10分の一以下の国は中国だけではない。
他の発展途上国が喜ぶだけで、賭けてもいいがアメリカに仕事が戻っては来ない。
今のままで仕事を増やすには中国と同じ給料まで下げるしかない。

同じ仕事で同じ給料を払う企業は競争に負けて容赦なく倒産する。

先進国で生活レベルを維持するには生産性を上げるしか道はないのだ。
生産性を上げるためには人と違う考えを持つことでしかありえない。

>人と違う< ← これしかない。

学校をこのままにしておくと金太郎飴のような労働者を大量に生み出し、
2045年を待たずに日本は貧困国に転落するだろう。

未来に危機感を持つ人たちは子どもを学校から引きはがして
自分の責任で子どもの未来を用意している。

2016年11月1日火曜日

最近の学校

周辺でも学校に通っている小学校3年生の子がいる。
その子をAとする。

ある日教室でノートに書いた中で終わったものをマーカーを使って消していた。
すると、そばにいたほかの子Bに「いけないんだよ」と言われた。

Aは意味が分からないので、そのまま作業を続けていた。
するとBは「わかんねーのか、いけねぇんだといってんだろ」と怒鳴った。

そこでAは何がいけないのかと聞き返したところ
Bは「学校には先生から言われたもの以外は持ってきてはいけないといわれたろ。」

要は、学校では決められたもの以外は持ってきてはいけないことになっている。
筆記用具は筆箱とBか2Bの鉛筆3本、赤鉛筆1本、消しゴムと決まっているそうだ。

その中にマーカーは含まれていない。よってBはいけないんだというのだそうだ。

Aはたまたま校門でマーカーを配っている業者がいてもらったものだという。

先生が中に入って、Aはルール違反、Bは言葉遣いの問題を指摘した。

Aはマーカーを使っているところを先生が見て何も言わなかったと主張したが、否定された。

ということである。

ここで問題は決められたもの以外は持ってきてはいけないというルールだ。
それでは子どもの創意工夫は否定されていないのか。

人工知能が人間を追い越す時代があと20年ほどで来るといわれている。
その時子どもたちは大人になって社会の前線で戦っている。
決められたことを決められたとおりにやっていては人工知能に勝てないだろう。

そのとき生き残れるのは情熱と発想が人並み外れていないとならない。
それなのに10歳ぐらいから発想や工夫を殺していいのだろうか。

学校の枠にはめた教育が
ブラック企業から抜けられないとか、過労自殺をする遠因になっている。

いじめや不登校の直接的原因だ。

Aはそれにもかかわらずその中で工夫をしようとしているが、
Bは小学校の教師の指示を何の疑いもなく、率先して周りに強要している。

6歳から12歳という人間の基盤形成の時期にこのような考えをしみこませるのは
未来の日本を封殺しようとしているとしか思えない。

本来なら、持ってきてはいけないものを明確にすべきだろう。

持ってきていいものを指定するのはそれ以外を禁止するといういかにも安直なルールだ。先生は楽でいいだろうが

法律でもやってはいけないことは決めているが、やるべきことは決めていない。

やるべきことを決めているということはどこぞの独裁国家ならいざい知らず、
近代法治国家の規範としてはあり得ない。

このような学校という仕組みはすでに社会の変化に対応できていない。

そしてそれをよしとする教師や親の安直さにも絶望感が漂ってくる。



2016年10月25日火曜日

サマーヒルスクールに関する質問

お久しぶりです

息子は日本を離れて、イギリスのサマーヒルスクールに通っています。

それを聞いた人からの質問です。その人は子どもをサマーヒルに送りたいと考えていますが、家族の反対にあっています。

反対の理由は
○サマーヒルは、日本の政府から認可されてないから、日本で通用する卒業資格が与えられないので、子供の最終学歴が小学生卒や、幼稚園卒となってしまう。

○また、18歳ぐらいで日本に戻って、日本の大学に入ろうとした時、帰国子女枠を利用できて、一般の受験でなくても入学できる可能性があるのでしょうか?(むしろ有利?)

○最近の日本人のその後の人生(大学、職業、就職・・・)などがお分かりになるようでしたら、教えてください。


まず、学歴ですが、幼稚園卒とか小学校卒にはなりません。一般的には中学までは義務教育ですから、学籍があれば全く学校に行かなくても中卒にはなるはずです。
ただし、中学校の校長の判断によりますから、もしかすると小学校卒になるかもしれません。

それでも、高卒認定試験を受けて合格すれば、高卒同等になり、専門学校や大学の受験資格ができます。高卒認定は中学の教科書を理解できれば合格します。大学によりますが、東大や慶応を受験するなら尋常でない努力が必要でしょう。ただし、帰国子女枠が使えれば有利になるでしょうが、それでも受験は必要になると思います。その点は大学に聞いたほうがいいと思います。
どの大学でもよければ英語の点数が高いはずなのでよほどでなければ合格するでしょう。

それに、日本に戻らずにそのまま英国やアメリカなどの大学を受験する手もあります。
オクスフォードやハーバードに入るのは大変ですが、日本から受験するよりは可能性は高いと思います。それ以外の大学なら、出生届けがあれば入学できると言っていました。ただし卒業は難しいのが西欧の大学です。

日本の地方公務員は高卒以上ですから、そこを目指すなら日本の高校に行くべきでしょう。

一般企業も学歴を高卒以上としているケースは多いですが、ほとんどの会社は何となくそうしているだけで、学歴が中卒だろうが、無学歴であろうが、役に立つ人であれば採用します。

私の知り合いの女性で高校在学中に妊娠し中退し、色々あってやがて広告代理店に自分が描いた漫画を持って行ったらその場で採用になった人がいます。今はそこで課長になって、年上の部下を使って仕事をしています。


卒業後の後の人生としてはそれほど多くは知りませんが、一例をあげると

◎イギリスでプロカメラマンになった人
◎英語を生かして沖縄で米軍基地に勤めた人
◎英語と海外の交友関係を生かして、旅行代理店に就職した人
◎日本企業の海外支店で採用された人
◎ドイツの大学で勉強中の人
◎サマーヒルでスタッフをやっている人

いずれにしろ、日本の大学を出て新卒で企業に入社するケースに比べると異色だと思いますが、それぞれの人は自分の生きたいように生きている感じがします。

大事なことはみんな自分が決めた自分の人生だということです。

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ここ数年でチェスも将棋も囲碁も全部コンピュータに負けました。
2045年には人工知能が人間の知性を超えると言われています。

今の子どもたちはそのころ40歳ぐらいですが、学歴だけで仕事ができるでしょうか。
広範囲な知識だけではコンピュータにはかないません。
その時必要なことはコンピュータにできないことです。
人が持つ情熱、コミュニケーション能力、そして独創性です。

そういったことを今の学校が教えられると思いますか。
学校は子どもたちに一斉に同じことを同じ時間内に教えないといけません。
それぞれの能力に合わせて別々の教育ができるようにはなっていません。

私は無理だと言い切っていいと思います。
学校が教えることができるのはカビの生えかけた知識だけです。
それを後生大事に覚えていても変わる社会には対応できないでしょう。
その結果が、引きこもりや、ブラック企業や、自殺などに噴出していると思うのです。

サマーヒルスクールではすべてを自分で考えて一人で決めます。誰も指示してくれません。
そしてやりたいことがあれば自ら他人を説得し納得してもらうために努力をします。
そこに必要なことは情熱、コミュニケーション、独創性です。

彼らはそういったことを10年間かけて身に付けようとしてます。


パソコンが生まれて30年ほどしかたっていませんが、
今スマホというコンピュータを子供でも待っています。
30年前に携帯電話のある今の社会を想像できましたか?

30年先の人生は私たちに想像もできない状態になっているでしょう。
その時生きていかないといけないのは今の子どもたちなんです。
その時どんな状況でも対応できる人になってほしいと思っています。

うちの子も学歴なしで社会に出るかもしれません。
そのことをきちんと説明し、それでもいいかと確認をして送り出しました。

一つだけ大事なことがあります。サマーヒルスクールでは年齢制限があります。
外国人は9歳から11歳までしか受け入れていません。
12歳以上は入学できません。

私は大事なことは全て説明したうえで
お子さんに自分で決めてもらったほうがいいと思っています。

2016年6月15日水曜日

もう我慢できない

シャープ、東芝、ソニー、パナソニック、一世を風靡した日本の家電メーカーがこれほどだらしなくなるなど、誰が想像したのだろう。

ソニーの元技術者が特定の元社長を名指しで非難した。それは出井社元社長である。彼は最初こそよかったが、結局ソニーの骨格を変えてしまい最終的には回復不可能なほどのダメージを与えた。

出井氏は電機メーカーとしてのソニーを情報や金融や映像をも含めた総合企業にしようとした。それが一時的に売り上げの向上につながったが、結果的にソニーにとって真の財産である、技術者の好奇心や意欲をそぐことになった。

井出氏はその-の中では初めてのサラリーマン社長であり、ソニーが一流企業になってから入社した人材である。

2016年5月20日金曜日

秀才の時代

最近、Airbnbというホームページを知った。
外国に旅行に行くつもりでホテルの予約を入れていたが、ある人からAribnbと言うのがあると教えられた。調べてみたら、1泊普通であれば一万円ぐらいするのに2000円にも満たないところがある。そのうえホテルよりよほど広い。こんなに安いのに成り立つのかと心配になるが、泊まった人のレビューの評価の高いところはそれなりに安心である。普通の家庭で空いている部屋をホテル代わりに使う仕組みで比較的安い金額で借りられる。
予約を入れていたホテルを次々と解約し、Airbnbに変えていった。少なくても宿泊費が半額程度になったと見積もっている。ホテルはビジネスであり土地の人と話をしたり一緒に料理をすることは難しいが、Airbnbでは貸主(ホスト)との交流を楽しむこともできる。
他にCouchsurfingというページもあり、登録しているとお互い自宅に無料で泊まることができる。
日本でもこの流れを受けた民泊の法改正が進められているが、こういった仕組みはいつも後追いだ。

どうして日本から新しいビジネスが生まれないのだろうか?

2016年2月21日日曜日

子どもを「成功」に追い詰めることの大きな弊害

日本はちょうど受験シーズン。小さなころから「いい学校を出て、いい会社に入って」と追い立てられてきた子どもたちが、緊張の日々を送っていることでしょう。しかし洋の東西を問わず、学業成績重視の教育が心にひずみを与えることは誰もが気づいています。

1月2日付けのニューヨークタイムズによると、米シリコンバレー近郊の労働者の町、アーヴィントン高校での調査で、生徒の8割が中度から重度の不安感に、半数以上が中度から重度のうつ症状に苛まれていたことが分かったそうです。(文:夢野響子)

十分な睡眠をとれず、うつに。成人後の疾患にも影響 アーヴィントン高校の状況は、米国の学校関連のストレスの縮図です。1日7時間の授業に毎晩の宿題、毎日の課外活動、週末の宿題と試合。これらはすべて一流大学、一流企業に入るために重要視されるステップです。大学を目指す貧しい子どもたちは、奨学金の獲得競争にも直面しています。

「成功を目指せ!」という追い立ては、文字通り子どもたちの健康をむしばんでいます。米国のティーンエイジャーの約3人に1人が、ストレスが原因でうつ状態になっていると専門家に打ち明けています。そのストレスの最大の源は学校です。

米疾病管理予防センター(CDC)は、ティーンエイジャーの大半が必要な睡眠時間よりも2時間足りないと報告しています。宿題が多いほど睡眠時間は減ります。大学での調査では、カウンセリング担当者の94%が、深刻な心理的問題を抱える学生の増加を警告しています。

小学校低学年の子どもの偏頭痛や潰瘍を診察する医師の多くは、それが明らかに子どもにかかるプレッシャーと関連していると指摘しています。幼少期の長期的ストレスは、成人後のうつと不安につながるだけでなく、健康をも害するようです。

ACE(有害小児体験)の研究では、暴力、虐待、親の精神疾患など複数のトラウマを経験した子どもは、成人後に心臓疾患や肺疾患、がんや短命にさいなまれる可能性が高いことが示されています。それほど深刻ではないストレスの持続も病気につながることが、2013年の公衆衛生調査で示唆されています。

週末の宿題を廃止しても、成績は下がらない? セントルイス大学教授のスチュアート・スラヴィーン氏は、医学生に不安やうつが広まっていることに気づき、学部のカリキュラムを見直しました。入門クラスでは合格/不合格のみの評価とし、隔週に半日のオフ日を設け、少人数の学習グループで学生間の結びつきを強めました。6年後には、学生の不安感やうつの割合は大幅に低下したそうです。

アーヴィントン高校でも毎日の宿題を制限し、週末と休暇中の宿題は廃止。生徒の成長を通常の試験以外の創造的な方法で評価するという改革が行われました。これで落第率が半減しましたが、卒業生は以前と同様に有名大学へ進学し続けています。これは保護者と教師と生徒が一丸となって行動し、小さくても重要な違いを作り出すことができた一例です。

米国ではメリーランド州ゲイサーズバーグ、ケンタッキー州カディス、ニューヨーク市なども、学業の成績競争の代わりに、より深い学習、統合性や個人のつながりを育成する教育を導入し始めています。

日本でも「子どものうつ」が増えているという報道もあります。プレッシャーを緩めても成績が落ちないのであれば、それに越したことはありません。

(参照)Is the Drive for Success Making Our Children Sick?(NYT)

引用:アメーバニュース
http://yukan-news.ameba.jp/20160220-65/