2011年9月28日水曜日

日本にとっての神

日本人には何が神かというツイッターがあり、私の意見をツイートしました。
もう少し詳しくと言うご要望があったので、日本人の神についてここで書いてみたいと思います。

ブログの趣旨(ホームスクール)とは少し異なりまた長文のため、興味があればお読みください。



宗教とは何でしょうか。私は宗教とは生活規範だと思っています。人間が社会的生活を送るために対人関係を安定させるためのルールと言う意味です。日本以外ではそれに加えて、他民族との民族全滅競争を生き抜くためという意味が加えられます。

世界宗教としてキリスト教やイスラム教があり、その原点としてユダヤ教があります。いずれも一神教であり、神が一人だけいることになっていて、彼らはそれが生活規範になっています。
それに対し日本の宗教にあたるものとして、キリスト教や仏教、儒教などが上げられますが、これらは決して日本国民全体の生活規範とはなりえていません。それでは日本人は何を信じているかというと、私の考えでは「空気」ではないかと思っています。詳しいことは山本七平の「空気の研究」をお読みください。

欧米人やアラブの人たちの行動規範は一神教の「神」です。神とは元々はエジプトの太陽神で、ファラオのアケナトンが他の神をすべて捨ててアテン信仰(一神教)を信じたのが始まりとされています。アケナトンの死後、司祭だったモーセが次のファラオに疎んじられ、当時奴隷だったイスラエルの民を連れてエジプトを脱出しました。途中モーセはアケナトンが信じたアテン信仰を再構築して与えたのが十戒でありユダヤ教の始まりだとされています。

アリス・ミラーによれば神は父親を象徴としたもので、父子関係をモチーフにしているそうです。当時の社会は厳格な父親と従順な子どもたちが理想で、どんな無理でも子どもは聞かなければならなかったとのことです。だから、キリスト教の神も時々怒り狂って天罰を与えたりするのです。(ヨハネの黙示録から)---これも不思議な話で、理解不能ですが、それはさておき---- 
神は厳父であり民族の団結の為、厳しいルールを定めました。世界はそれまで民族間戦争が絶えませんでした。そのため十戒のような明文律が必要になったのです。明文化したルールを手に持っている者は仲間なのです。聖書もその延長線上にあります。つまり、宗教は戦争が生んだ武器だったのです。聖典を明文化したため、その民族は一貫した思想を貫くことができるようになります。
 そして、ユダヤ教が現代まで生き延びている理由は偶像を否定し、一神教を信じたからだと思われるのです。他民族がユダヤとの戦争で勝っても、ユダヤ人がユダヤの神を信じることを止めることができないのです。その強い団結力を見た他民族がその派生であるキリスト教に飛びついたのは自然なことだったのかもしれません。

ナチスにしろ、全体主義にしろ、共産主義でも結局どれも神の代替え品でしかありません。そして科学も哲学も神の申し子だと思うのです。いずれにしろ、ユダヤの神は絶対という概念を人類に持ち込み、結果的に「遠い展望」という副産物を残しました。それゆえ欧米は大航海時代を経て世界制覇ができたと思うのです。


一方中国は皇帝と民衆のふるまい方を定めた儒教という形で規律を定めました。中国やインドに関してはまた機会があれば触れたいと思います。

日本の文化の特徴は大陸から先進文明の一方的な流入でした。そしてそこで発展した文化は太平洋に遮られてどこにも行きようのない袋小路だったのです。さらに特徴的なのは大陸からの微妙な距離で、文化を伝えるのは不可能ではないが、戦略的に攻め込むには遠すぎたのです。そのため、他民族との全滅的虐殺戦争は有史以来一度も経験していないのです。つまり、文化の恩恵だけ受けて被害は受けなかったのです。そのような国は日本以外にほとんどありません。

いいかえると乳母日傘で育ったようなものです。大陸でのような全滅戦争がなかったので、明文化したルールも必要なかったのです。もちろん武士同士の戦争はありましたが、庶民にとっては無縁の世界でした。外国人から見ると戦国時代と言ってもこれはただのクーデターでしかないと思うそうです。

天皇家は今は昔の江戸城、皇居に住んでいますが、京都でも奈良でも堀も石垣もない御所に住んでいました。天皇家は昔、朝鮮半島から日本に侵略して来て、原住民と戦いながら九州から近畿地方まで来たと考えられています。当時は霊がいると考えられていて、ひどい仕打ちをすると悪霊になって襲ってくると信じられていました。そして人々は言霊というものを信じるようになります。言霊とは言葉にするとその通りになると言う迷信のようなものですが、これが現在でも我々を縛っているのです。

日本を平定して飛鳥に都を作ると、天皇家は悪霊を嫌って軍備を解体してしまいました。そのため都の治安が悪くなり、武士が警備をするようになりました。軍事的な裏付けが武士に移行すると武士が権力を掌握しました。しかし、どの武士も権威しか持たない天皇を倒して代わりになろうと考えなかったのです。その結果、天皇は文化的権威を保持し現代まで存在し続けています。これもまた世界に類を持たない権威と権力の二重構造です。

権威と権力を分離したため、大陸で戦争に負けるとそれまでの文化も記録もすべて失われていたのですが、日本はそうはなりませんでした。そのため日本は至って安定した社会になりましたが、それでも規律は必要でその規律は思想家や支配者の押しつけでなく、民衆の人間関係の中で生まれたのです。

私は日本の場合、権威が権力を持たないので、父子関係はモチーフにはなりえないで、母子関係がモチーフになったのではないかと考えています。父子関係が4歳ぐらいの言葉が確立してから始まるのに対し、母子関係というのは乳児の段階から始まるため、言葉なき密度の高い肉体的信頼関係から生まれます。母親は言葉でコミュニケーションできない乳児に対し、想像力を駆使して要求に応え、また働きかけます。子どもにすれば母親という存在に自分の生命をかけるわけですから、信頼と甘えの構造が働くのです。この相互関係がそのまま発展して空気になると考えています。

つまり、
欧米が父子関係をモチーフとして「神」に展開したのに対し、
日本は母子関係をモチーフとして「空気」に展開したと言えます

「空気」は理想的な疑似母子関係を保持しようとして、身近な人に迷惑をかけない方向に働きます。実際はともかく、前後左右の人の思惑を自分なりに理解し行動します。それが周囲と齟齬をきたすと「空気が読めない奴」というハヤシ言葉(KY)や、「あの空気ではとても反対できない」等と使われます。それはあたかも母親が赤ちゃんの泣き声でその理由が分からないとか、乳児が母親に逆らえないかのようです。

ここで大変微妙だと思うのは、前後左右の人の思惑と自分の理解が正ししく一致していればいいのですが、食い違ってくることがあります。その結果、そこにいる人たちが「他の人はこう考えているであろうと推測する行動」をとります。とても複雑な心理を読まないといけません。
しかも言霊で、悪いことを口にするとその通りになると考えていますから、なるべく問題が起きないように慎重に動こうとします。

日本人はこの空気を言葉で操ります。しかも空気は刻々と変わります。その空気の変化も読み取らないといけないのです。日本人は欧米人や中国人には理解不能なほど複雑に変化する人間関係を瞬時に判断して操作しているのです。その分「遠い展望」を自分で持つことはできないのです。これが日本人が優柔不断だとか、明確な行動がとれないという原因です。

兵隊は優秀だが将校が愚劣だと言われますが、どちらも同じ日本人なのです。

私はこのことを前後左右1mを見ているが前方1kmを見ることができないと言っています。欧米人や中国人は日本人が後ろまで見えることに驚くのですが、前方も1mしか見ていないことにも驚きます。

例えば、今回の東日本大地震で、自粛モードが生まれ、みんな当然のように自粛しました。花見も上野公園でも自粛のパネルが立ちました。ところが東北地方の酒蔵から自粛されると酒が売れなくなり復興にさし障るから自粛しないでくださいと言われて、パネルを撤去しましたが、今年の花見は実に静かでした。これが「空気」で、思い込んだら遠くが見えなくなり、被災地の実情のような遠くのことは思いが至らないのです。

日本は明治維新で文明開化を取り入れ、「遠い展望」を概念でなく、そのまま借りものとして身にまとい急激に発展しました。その結果自信を持ったがゆえに「遠い展望」を脇に置き「空気」が前面に出て、第二次世界大戦でしくじりました。
戦後、日本はアメリカの持つ「遠い展望」を借り着として急激に経済発展しました。そして、今再び「空気」が日本を支配することでまたもしくじったのです。
今度の失敗ではこれから借りてくる「遠い展望」がどこにも見当たりません。もはや自分で作るしかないと思うのです。

一方欧米もまた苦しんでいます。一神教的世界観がイスラムやアラブとのいさかいになり、貧富の差が拡大して、展望が開けない状態です。欧米の持つ「遠い展望」力が力を失い、欧米の世界支配は徐々に崩壊しているのではないでしょうか。



最後に、ホームスクールクラブらしく繋いでみたいと思います。

日本の学校は行き詰っています。 それは学校を「空気」が支配しているからです。私は遠回りでも今の子どもたちが大人になるまでに「遠い展望」を持てるようになってもらいたいと考えています。そうならない限り日本が回復する道はないと思うのです。それができるのは、回りくどくても「民主主義」ではないかと考えています。民主主義は多くの異論を討論を通して最善または次善の道を探ることにあります。教育もまた日欧米でずいぶん前から力を失っています。それは国家の支配層による押し付けでしかないからです。全ての子どもたちに自由を与えなければ、子どもたちも同じ間違えを犯し、やがて人類は…

 だから「ホームスクール」なのです。また「デモクラティックスクール」もありだと思います。
我々が手を携えて、日本や世界の人類の為にいかにあるべきかを考えることができる素質を育むことが大事なことだと思うのです。

文化が飛躍するのは異質な文化がぶつかって、融合した時です。そのためにも子どもたちが日本や欧米の文化に直に触れて、「神」と「空気」の融合した新しい世界を作る必要があると思っています。

このブログに参加している人の子どもたちは将来の世界を背負っていく子どもたちだと思っています。


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13 件のコメント:

Wisconsin Vegan Abolitionists さんのコメント...

待ってました!深い!とうはんさん尊敬!ホームスクールクラブ引き締まります。私の記事ばかりだとダラ~~ンと昼寝したくなりますもん。

空気のお話、3回くらい読まないと全部理解できないのでがんばりますね。
確かに日本人って以心伝心とかいって、勝手に相手の気持ちを探ったり、変に理解したり(誤解したり)、まどろっこしい。
あの~上野のパネルって~?本当に立ってたんですか?自粛しなさいって言ったり言われたりって、社会がおこちゃま?なのかしら。

これからの世界を担う子供たちか~。うちの子、周りの人に親切だし、人生を楽しんでるし、疑問持ちやさんだし、問題解決君だし、失敗も繰り返してるし、何よりも世界平和を望んでるし、結構いい感じに育ってます。手前味噌!

とうはん さんのコメント...

銀龍さん、私が書くと読者が減るんじゃないかと不安です。やっぱり銀龍さんの方が面白い。
上野のパネルは実際立っていましたが、すぐ撤去してました。笑えますね。
遠くが見通せないのは飛鳥の昔から変わっていません。見通せないのが日本の文化なんです。ただ、そうも言ってられない時代に入ったんだと思うのです。明治維新も敗戦も日本の危機でしたが、今は第三の危機で前の危機と同じように若い人が社会を切り替える時だと思います。

だから、銀龍さんの息子さんみたいに複数の文化を背負いながら自分の頭で考えることができる子ども達が日本と世界を救ってくれるかもしれません。(救ってくれたらうれしい)

Wisconsin Vegan Abolitionists さんのコメント...

日本に帰って驚くのは子供たちがとっても忙しいこと。近所の小学生もクラブやなんかで帰宅が5時半、その後は塾。土日も学校祭やなんかで大忙し。日本では息子の遊び相手は幼児しかいないんです。その幼児もお習い事でけっこう忙しい。
アメリカの子もだんだん日本みたいになってきてます。
子供はみんな天才だから、彼らに自由な時間をたくさん与えたら、色々なことを考えたり、発見したりできるのに。
第三の危機とはニートとかフリーターが多いということでですか?

Mikan さんのコメント...

日本人は、神ではなく、空気を信じているというお話、何となく分かる気がします。

アメリカ(クリスチャンが多い土地)に住んで思うのは、ここでは日本の八百万の神なんて絶対に理解してもらえないと思います。
神=一人だけ。唯一の神なんです。
神様がたくさんいたら、いけないのです。

アメリカでも、ネイティブアメリカン(インディアン)と日本の神に対する考え方は似ている所が多いように思います。
どちらも、自然界と関係した神(霊)が多くいる。

あと、空気が読める読めないというのもアメリカに住むとよく分かります。

言わなくても分かるでしょ?というのは通用しません。言わなきゃ分からないのです。
雰囲気から察する事が出来ないのです。
もちろん、国籍関係なく、察するという事が出来る人、できない人がいるのは分かっています。

私はキリスト教の教会へ行くのですが、結構あほらしいな~と思ったりすることを言ったりしているんですよね。
宗教を使って、人を操るというか・・・・
都合の良いところだけとって利用するみたいな。
こういうのが苦手です。


上手く言えませんが、日本の宗教は自分自身と向き合う感じ?
他の宗教は神と人との関わり、神と共に生きるという感じ?

こんな説明では意味不明?ですよね・・・・
難しい・・・


歴史、宗教が苦手な私にはこの記事、難易度が高すぎ・・・・・
ちゃんと理解しているのかしていないのか分からないけど、コメントしてしまいました。お許しを~

とうはん さんのコメント...

銀龍さん、
第一の危機が幕藩体制の崩壊、第二の危機が帝国主義の崩壊、そして第三の危機は戦後経済の崩壊です。第一と第二で60年、第二からまた60年で日本は行き詰りました。

詳しくは書ききれないので簡単にいえば、明治維新の後はみんな懸命に努力しました。これもそうしないと植民地にされると言う「空気」です。大戦前には日本は一等国という「空気」がはびこって負けました。戦後はアメリカの後を追うと言う「空気」がいっぱいでしたが、バブル崩壊前はまた先進国の先頭に立っている「空気」になっていました。

常に日本は「空気」が支配していますから、頑張るときはみんなが一致して頑張るのですが、慢心するとみんな一斉に慢心しているのです。バブル崩壊でも戦争で負けたわけではないので、今は脱力感が「空気」として蔓延しています。だからこのままだらだらと落ち込んでいくような気がします。

過去2回の危機に比べて、緊迫感がない分非常に危ないと思っています。

とうはん さんのコメント...

Mikanさん
アメリカインディアンと日本人が似ていると言うのはわかります。アメリカンインディアンも日本も自民族の神を持っています。でも、キリスト教やイスラム教の神は借りもので自民族との関連性がないのです。いいかえると彼らは宗教的には被侵略者の子孫なのです。だから神は押し付けられたものであり、全身で委ねることができなくて、精神的にとても不安定なんですね。

その結果、とても侵略的になると思うのです。不安なので他民族にも信じさせて安心しようとするのです。もちろんそんなことはできませんから、いつも不安でやたらと理屈っぽく説得したがるのでしょう。あれは多分、自分自身を説得しようとしているんじゃないでしょうか。

日本の八百万の神は土着信仰ですから、内面から湧きあがってきているため、他人を説得する必要がないのです。ただし明治から昭和にかけての日本は少し違います。この間は日本は天皇を使って一神教のまねごとをしました。だから侵略しなくてはならなくなったと言えると思うのです。

Mikan さんのコメント...

WOW!とうはん、ありがとうございます!

何となく、こうかな~なんて思っていたことをとうはんが解説してくれました!
あぁ、何だかすっきり!

>他民族にも信じさせて安心しようとするのです

押し付けられた神に、土着信仰の神。


納得!納得!納得!

とうはん、ありがとう!
何だかすごくスッキリ!

Wisconsin Vegan Abolitionists さんのコメント...

いつもありがとうございます。バブルの申し子だった私。あの頃はクレイジーでしたよね。毎夜六本木に進出してました。シャネルやアルマーニなどの残骸は、処分して、過去もすっかり消しゴムで消し、今はすっかり自然派ママを気取っています。
なんか日本の若者元気ないですよね。そうか、これが危機か~。311の被害も未だに大変だし。

Mikanちゃんの住んでるところは教会に行かないと人と出会えないんじゃない?わたしもそういうところに住んでたよ。すぐに引っ越したけど。
愚痴はいつでも。。私のも聞いて。。
P.S.ネイティブアメリカンの音楽好き!

chibimikan71 さんのコメント...

おじゃまします!

私には"神様”とか"宗教"の話しはとても難易度が高く感じられて、それに自分の生活とはかけ離れたところにあるようなものに思えるので、コメントできずにいました。

でも、「日本の学校が空気に支配されている」という、とうはんの言葉を受けて、な~るほど!と思いました。というのも、ここアメリカのプリスクールコープという小さな社会で自分が体験していることが思いっきり逆をいっているからです。

先日、メーリングリストにて「子供たちの日常の様子を撮影する日」についての連絡があり、いつ誰が撮影を行う・・・とうの情報が回ってきました。私にとっては問題なしだったのですけど、そのメールの直後にいろいろな意見が10通くらい飛び交い、反対の意見やら、賛成の意見やら、とにかくものすごい速さでいろいろな人からの反応が出てきたことにビックリしました。すごいな、と思ったのは一時は感情的になったものの、みんなしっかりとなぜそう思うのか、を伝えていて最後は「コープという立場を生かして、子供たちのために全員が持っている能力を最大限に使おう」と締めくくっているところでした。

時にはメンバー同士での衝突もあったりするのですが、それでも何もいわずにやり過ごすよりもずっと健全に思えます。特にこういう組織を運営していく場合には、意見が飛び交って「強引にでも、よい方向に進めていくしかない」状態が必要だと思います。

Wisconsin Vegan Abolitionists さんのコメント...

確かにちびさんの言うとおり。何につけても、ものすごい意見が飛び交います。ホームスクールに不利な方向に政府が動き出したりすると、抗議しまくりだし。しかも団体でじゃなくて個人の意見でね。
日本でちょっとでも意見を言うと、モンスターとか言われちゃうって友達が言ってました。グローバル社会で生きていくには英語力だけじゃないのにな~。

saori さんのコメント...

とうはんさん、こんにちは。

日本人が空気を読むのに長けている、また空気を読む重要性ゆえに動きにくくなっていることは納得です。

ただそれに対する欧米の思考が一神教と結びついている、という考えはどうでしょうか。

「宗教は戦争が生んだ武器」と書かれていましたが911の事件を見てイスラム教自体が悪いと思われますか?おそらくアルカイダという団体の思想が間違っていて、全てのイスラム教徒が危険なわけではないと思われたと思います。

そして同時に911後の米国におけるキリスト教徒がイスラム世界を倒せ、というムードを推し進めたことに対しても間違っていると思われたでしょう。

私は国や民の指導者が宗教を武器にしたと考えています。キリスト教を例に挙げますと布教を理由に先住民を殺戮して新大陸を植民地化したこともそうでしょう。

Mikanさんがおっしゃるとおり、宗教を利用する人間が多いのです。悪を糾弾する権利が自分にはある、と勘違いしているのが。堕胎をした産婦人科医が命の危険にさらされるのもいい例です。聖書にははっきりと人を非難する権利など人にはないと書かれているのですから。

また欧米人の行動(法律の明確化、主張好きetc.)は宗教というより大陸での他民族の同居が理由ではないでしょうか。ヨーロッパでも島国であるアイルランドやシチリアでは日本人に近い価値観の共有をベースにしたコミュニケーションをとってきたと思います。

とうはんさんがおっしゃっているとおり、ホームスクーリングの長所の一つはは政治や学校の押し付けから子供を守り自由を与えてやることです。ですからhelperである親が宗教に対し偏見を持ってほしくなかったので、あえて書かせていただきました。

とうはん さんのコメント...

saoriさん、こんにちは

この長ったらしい文章をお読みいただきありがとうございます。

欧米人の行動原理はsaoriさんが言う通り、他民族との同居(戦争)が主因ではあります。それぞれの部族に文化があり、それが交流と衝突を繰り返してきました。大陸の場合は種族の根絶やし的な闘争にながちで、これに対抗するにはどうしても民衆を団結させる強固な宗教が必要となりました。それが「宗教は戦争が生んだ武器」と言う言葉につながるのです。わたしは文化と宗教は鶏と卵の関係だと思っています。

イスラム教が悪いとかキリスト教が悪いとか、私自身書いていないと思います。よいか悪いかは相対的なもので、自分にとってよい行動も敵からみれば悪いことでしょう。多分アルカイダにとってはWTCを攻撃したことは究極の善だと思っているはずです。それに対し判断は控えたいと思います。(自分の身に降りかかってくれば大変困りますが)
911後のアメリカ政府の行動については稚拙だったと思いますが、アメリカ人の思考方法から考えて必然だったと思います。アメリカは対インディアン、メキシコ、日本、ベトナム、イラクといつも同じ行動原理を取っています。私は賢明なアメリカ人がなぜいつも武力で物が解決できると信じているのかが不思議なのです。

私は宗教について特に偏見は持っていないと思います。
アルカイダを彼岸にいる我々が間違えだと決めつけることが即ち偏見になりはしませんか。キリスト教についても批難はしていません。私はどの宗教も信じてはいませんが、それを信じたい人は信じればいいと思います。ただ宗教が諍いを煽ってきた歴史上の事実(カソリックとプロテスタントの間の残虐行為など)を無視できないとは思っています。

指導者が宗教を武器にしたのはsaoriさんが言われる通りです。問題は民衆もそれに応えたと言う点を見逃すわけにはいきません。指導者は自分が都合がいいものを利用しますが、しかし大衆の支持は独裁者といえど無視できないのです。このことはナチスドイツでも同じことが言えます。

私は人類がなぜキリスト教や、仏教や、イスラム教を求めたのかを知りたいだけです。人間の真理がどこかあるかについて興味があります。そして子どもにも宗教を絶対視しないように育てたいと思っています。

こういった話はとても面白いので反論があればまたコメントください。

とうはん さんのコメント...

chibimikan71さん、こんにちは

論争が飛び交っても節度がある点は欧米らしい深みを感じますね。日本では論争になると人格攻撃や村八分になりがちで、論争がとても難しいと思います。

>組織を運営していく場合には、意見が飛び交って「強引にでも、よい方向に進めていくしかない」状態が必要だと思います。

全くおっしゃる通りなんですが、それが日本では良い悪いの観点がかなり主観的で、なかなか客観的になれずひどく難しいのが現実です。

私はこれも学校の弊害ではないかとにらんでいます。なぜかと言えば日本で見知らぬ子ども同士が集まった時、学校に行っている子どもたちはすぐグループをできて、他の者を仲間に入れない傾向があるが、ホームスクーラーの場合はすぐみんなで仲良くしていると親たちが不思議がっていました。