2011年6月9日木曜日

神について

私は無神論だ。
家を建てる時も地鎮祭もしなかった。
寺に行っても賽銭を上げることすらしない。
当然ダーウィンの進化論を信じている。

一方、クリスチャンの方たちは神を信じている。
信じているという点からいえば神を信じるか進化論を信じるかで
大差はないように見えるかもしれない。
 でも、私から見るとこの差はとてつもなく広くて深い。

私が信じている進化論はあくまで今現在の仮説でしかない。
進化論を否定する科学的証明があれば好んで読み、
その結果、進化論を捨てるかもしれない。

つまり、科学というのは常に反論と批判に耐えてきた歴史を持っている。
そのため、まれに定説が覆されることもある。

一方神は信じるしかない。
信じる者は救われるだ。
死後の世界も天国も地獄も誰として証明できまい。
神父なり、牧師なりにここで天国を見せてくれと言っても
サタンめ去れ」と言うしかないだろう。

これはどの宗教も大同小異だと思う。
今の大乗仏教ではない仏陀の説いた原始仏教だけは別だ。

つまり、神を信じると言うことはその部分を見ないと言うのと等しい。
神の存在を盲目的に信じることでしかキリスト教は成り立たない。
と思っている。


これは子どもを育てていくにあたって、大変危惧すべきことだ。
子どもに対し、この点は疑ってはいけないと教えることにはなりはしないか。

そうなると、世の中には疑いを持ってはいけない部分があると言うことになり、
現象や状況に対し盲目であると言うことは、科学的思考法が身につかない。

ホームスクールをやる親の多くはクリスチャンが多い、
学校教育では進化論を教えるため、キリスト教の教えと違うと
いう主張は理解できるが、私とは相入れない。


片や、今の学校は疑うことを教えない。
1+1がなぜ2なのか、 誰がそう決めたのかと疑っていては
授業にならないと言うのは理解できるが、私の思想とは違う。

私は思う。
世の中には信じていいものは一つもない。
自分自身も含め、すべてを自分の頭で疑え。 
疑いを突き詰めて行く中から真理が見えてくる。

 子どもにはそう教えていくつもりだ。

0 件のコメント: