私は無神論だ。
家を建てる時も地鎮祭もしなかった。
寺に行っても賽銭を上げることすらしない。
当然ダーウィンの進化論を信じている。
一方、クリスチャンの方たちは神を信じている。
信じているという点からいえば神を信じるか進化論を信じるかで
大差はないように見えるかもしれない。
でも、私から見るとこの差はとてつもなく広くて深い。
私が信じている進化論はあくまで今現在の仮説でしかない。
進化論を否定する科学的証明があれば好んで読み、
その結果、進化論を捨てるかもしれない。
つまり、科学というのは常に反論と批判に耐えてきた歴史を持っている。
そのため、まれに定説が覆されることもある。
一方神は信じるしかない。
信じる者は救われるだ。
死後の世界も天国も地獄も誰として証明できまい。
神父なり、牧師なりにここで天国を見せてくれと言っても
「サタンめ去れ」と言うしかないだろう。
これはどの宗教も大同小異だと思う。
今の大乗仏教ではない仏陀の説いた原始仏教だけは別だ。
つまり、神を信じると言うことはその部分を見ないと言うのと等しい。
神の存在を盲目的に信じることでしかキリスト教は成り立たない。
と思っている。
これは子どもを育てていくにあたって、大変危惧すべきことだ。
子どもに対し、この点は疑ってはいけないと教えることにはなりはしないか。
そうなると、世の中には疑いを持ってはいけない部分があると言うことになり、
現象や状況に対し盲目であると言うことは、科学的思考法が身につかない。
ホームスクールをやる親の多くはクリスチャンが多い、
学校教育では進化論を教えるため、キリスト教の教えと違うと
いう主張は理解できるが、私とは相入れない。
片や、今の学校は疑うことを教えない。
1+1がなぜ2なのか、 誰がそう決めたのかと疑っていては
授業にならないと言うのは理解できるが、私の思想とは違う。
私は思う。
世の中には信じていいものは一つもない。
自分自身も含め、すべてを自分の頭で疑え。
疑いを突き詰めて行く中から真理が見えてくる。
子どもにはそう教えていくつもりだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿