2010年11月9日火曜日

ホームスクーラーの条件

ここではホームスクールを勧めている。公立の学校へ行くことで多くの才能がつぶされてると信じているからだ。私立であっても大同小異だろう。子供による向き不向きはない。才能のある子供であっても、知的障害があっても問題はない。どちらにしてもホームスクールであれば適切な成長を期待することが可能になる。学校に行けば個別の子どもの差異を無視して均一化した教育をするしかないからである。

で、誰でもホームスクールが可能かといえば正直向いていない家族もある。子どもを虐待する家庭は論外だが、以下に挙げる家庭はホームスクールには向いていない。

1.厳しいしつけをする家庭
2.過保護、過干渉の家庭
3.テレビ漬けの家庭
4.親が本を全く読まない家庭
5.父親が子育てに無関心な家庭
6.自然に関心がない家庭

しつけそのものがよくないと言うのは私の持論だ。しつけをするとか、叱るとか、怒鳴るということは親の好みに合わせると言うことに他ならない。子どもとは説得や話し合いを基本にすべきだ。親の好みに合わせられた子どもは親の顔色を見ることが常態になる。常に親の意図をうかがっていると、自ら進んで勉強ができなくなる。そうなるといつも親が見張っていなければならなくなり、親は疲れ果て、子どもは息の抜けない。それなら、学校の教師にゆだねた方がましだ。教師は同時に30人もの子供を見なければならないから、どうやっても全部の子どもに目が届かない。子どもにとって逃げ道があるだけまだましということになる。

過保護や過干渉の親は子どもがやることを先取りしてしまう親という意味だ。ホームスクールのように長い期間、家庭で生育すると親の負担が過重になってしまう。幼児の間は、親は全身目になって見張っていながら、手伝ってと言うまで子どもがやることに手を出さない。子どもの失敗を恐れない。皿の2枚や3枚割れたって構わないと思っていないと、自分からは何もやらない子どもができあがる。

テレビは全くないほうがいい。親がテレビを見ている家庭は子どもも見たがる。当然テレビの影響を受ける。テレビは視覚と聴覚を縛ることで、こういう風に考えるべきだと決めつけている。特にバラエティ番組を見るとよくこんなつまらない番組で笑えると思えるほど程度が低い。頭の程度がそのレベルで固定され、深くものを考えなくなる。成長期の子供にとって害にしかならない。私は学校とテレビはセットで国民をバカにしていると思っている。

例外はいるが、親が本を読まなければ、一般に子どももあまり読まない。本だけで勉強することがいいわけではないが、本を読まないと世界への目が開かない。自分の周囲のことにしか関心が向かなくなる。世界に興味がなければ勉強する意味が分からない。

父親が教育に関心がないと、母親に教育の負担がかかる。母子家庭の方が、父親のことに気を使わないでいいだけましだ。本来なら、体健康面を母親が、知的教育面を父親という風に分担する方が効率がいいが、少なくても父親が子供をホームスクールで育てると言う点に対する理解は絶対不可欠だ。

最後が自然に興味がない家庭だ。子どもの間は自然環境で育てる必要がある。人工環境だけで育つとあらかじめ人為的に調整されたものしか知らないことになる。山に登れば状況は常に変化する。足を踏み外せば転落するかもしれない。突然クモの巣に頭を突っ込むかもしれない。常に状況を見て適切で素早い判断を要求される。それに対し、街の公園では予定調和されて、事故があると監理者の責任を問われるが、自己責任ではない。幼いうちに自己責任の経験を繰り返しておかないと、大人になって切れやすくなる。


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ホームスクールというと親が教師の代わりに勉強を教えるというイメージがあるが、それでは親は持たない。基本的に、ホームスクールは子どもが自分で勉強をすることを言う。親は見守るだけだ。ただし、10歳までは親の誘導が必要だと考える。10歳になった時、自分で自分の興味と必要に応じて勉強をするようにならないと親がすべてを教えることは到底できない。

個人差があるから一概に言えないが、10歳に満たない子どもの場合は、学びの面白さも、どのように勉強するかも分からないのが普通だ。辞書や百科事典を使いはじめるのも10歳からで十分だと思う。親が野山や海川、あるいは本を見せて子どもの興味をうまくひきだす必要があると思う。

また、子どもは基本的に飽きっぽい。やって見せて、興味を出しても、すぐ飽きる。次から次に興味が移る。自立している子どもは自分で考えて、転々と変えていく。親はそれを見守っていくだけである。じっと見ていて、関心が向く方向をあらかじめ察知して買い与える本や、次の休みにやることを考えておく。子どもにとって、遊びと勉強に何ら境がない。遊びの流れのまま次第に勉強に代わっていき、気がつくと勉強が楽しくて仕方がない状態になる。そうなったとき親の出番はなくなっている。

親はロケットの発射台である。

言いかえると、子どもが0歳から20歳の大人になるまで、一貫して楽しく成長を続けることを見守ることができるのがホームスクールの醍醐味だと言える。

言葉
サマーヒル学園において、何故に憎悪がかくも少ないかは、いまやようやく明らかになってきた。我々は恐怖をほとんどなくしている。私は信じる。もしも新時代の両親や教師が子どもを恐怖から救うために自由を与えるならば、憎悪は自然にこの世界から姿を消していくであろう。」A.S.ニイル

2010年11月4日木曜日

ホームスクールを勧める理由

理由は、子どもがより自分らしく育つことができると信じているからである。

アメリカの調査ではホームスクールの子どもの方が全国平均より30%成績がいいという結果が出たそうだ。

学校へ行くと、気分の良しあしにかかわらず定時に教室に行かないといけない。日本では遅刻をすると校門で殺されることもある。校門圧死事件のときは期末考査(試験)だったそうだが、そもそも試験を受けないといけないのはなぜだろうか。学業成績を筆記試験の紙一枚で評価し、何が分かるのだろうか。それでも成績が悪いと先生から、お前は何点でひどく遅れていると発破をかけられる。先生、あんたの教え方が悪いんだとはとても言えない。

私は点数の競争が学校制度の諸悪の根源だと思う。

学校あるいはクラスという閉鎖社会で競争すると、自分が努力するよりは人を引きずり落とすほうが効率がいい。「勉強している?」と聞かれて、「してない」と答える単純なやり方から、ひどいいじめまで人を蹴落とす戦略である。この戦略を取るほうがすべての授業の内容をきちんと覚えて、正しく答える努力より、簡単に成果が上がる。
このために学校に行くと他人を引きずり落とす方法を中心に神経が行き、小学校、中学、高校とそのための陰湿な工夫を重ねる。勉強が面白いと思った子どもにはほかの子どもが執拗にいじめる。そうならないために、自分も一緒にいじめに参加する。これが学校でいじめが一向になくならない本当の理由だと思う。みんなで寄ってたかって足を引っ張り合っているのだ。だから、子どもたちの成績は下落する一方なのだ。

言いかえるとこれは学校の本質にかかわる問題で、個別の学校や教師の問題ではない。ましていじめをする子どもの問題ではありえない。
ホームスクールなら競争する相手は誰もいないから自分の興味のままに好きなだけ学べる。だから環境のいかんを問わずに成績が上がることになる。それにいじめられることもないから明るく子供らしく成長できる。いいことばかりだ。

小学6年の女子が自殺したが、生前、 『もしもひとつだけ願いが叶うなら?』というところに、『学校を消す』と書いてあったそうだ。一番責任を感じるべきは親だ。自殺されてから学校にクレームを持ち込む前に、「どんなに遠くてもいいから学校を変えて」と言って来た娘を、守ってやれなかったことに痛切な思いを感じてほしい。彼女は親へのプレゼントの為のマフラーで首をつったそうだ。これは親に対する痛烈なメッセージだったのではなかったろうか。 (合掌)