JAPAN CLASSという雑誌を書店で見るたびに悲しくなる。日本人はいつからこんなになってしまったのだろう。世界を見渡しても自分の国のことをこんなに自慢している雑誌は日本以外では見たこともない。雑誌だけでなくテレビもそのような番組を流しているようだ。幸か不幸かここ10数年、あまりのくだらなさでテレビを見なくなったのでよく知らないが、たまに出先で見るバラエティ番組を見ると吐き気がする。
日本の政治がひどいというのは何十年も言われてきたが、経済だけはよかったがここ10年ほどで完全に崩壊した。東電の原発事故、東芝の崩壊、シャープの買収、半導体の凋落、日産の買収、三菱自動車の不正、神戸製鋼の不正と数限りない。
官僚は何かあっても知らぬ存ぜぬばかりで何ら責任を取らない。
自民党は一強でだれも異論を唱えない。民進党もどっちを向いているかさっぱりわからない。挙句の果てに希望の党に合流して消えてしまった。詳細は
選挙総括で
私は何度も主張しているが、原因の多くは学校にあると思っている。
明治維新が起きてそれまでの幕藩体制が崩壊し、支配層が一掃され、若い人たちが飛び出してきた。彼らが新日本を切り開いていったが、70年ぐらいたつと勤皇の志士は鬼籍に入り、とってかわって学校秀才が政治経済軍部を支配し始め、それまで急成長していた日本は暴走し第二次世界大戦で焼け野原にするまで止まらなかった。ちなみに東条英機は陸軍士官学校で有史以来の超優秀で総代だったそうだ。(そんな優秀な奴が首相になって日本を焼け野原にしたんだ。)
戦後財閥解体などで支配層が一掃され新しい人たちが飛び出してきた。松下幸之助、本田宗一郎などは学歴もなく世界企業を築き上げた。しかし70年たつと彼らの多くは鬼籍に入り、そのあとは再び学校秀才が経済、政治の世界を牛耳るようになった。そしてバブルの崩壊後30年にわたり停滞し、世界第二位のGDPが今や一人当たりのGDPは世界の30位あたりでじりじりと下げ続けている。東芝、シャープ、ソニー、日産いずれも戦後50年を超えたころから不祥事や赤字の垂れ流しが常態であった。
つまり、明治維新も戦争も知らない世代が企業の経営者や官僚や政治家の頂点を極めるとお衰退を始めている。彼らに共通しているのは全員
学校の秀才であるということである。
学校では先生の言うことを信じてそのまま答案用紙に書けば満点をもらえる。先生の覚えもいい。受験にも有利だろう。それに対し、先生の言うことや教科書に書いてあることに疑問を持っても時間は無駄だし、成績もよくない。質問を繰り返すと授業が進まないので先生から好まれない。
子どもには二つの選択肢しかない。
Aは先生の言うことをとりあえず信じて疑わないようにして好成績を上げる。
Bは先生に逆らい、授業に反抗する。その結果は先生から疎まれ、嫌われ、ほかの生徒からはいじめられる。その結果不登校か自殺に追いやられる。
Aはいい成績を上げ、いい学校を優秀な成績で卒業して、何の疑いもなく大企業か官庁に就職する。そして○○大学卒業という学歴で出世していく。
しかしいつも正解のある問題を解くことしか知らないので異常事態になると対応ができずに右往左往するだけで解決不能になることがある。福島第一原発事故の時の東電や官僚の対応を見ればよくわかる。
戦後経済の成長期はアメリカという正解が常に前にいたので、それをいかに早く取り入れるかだけ考えていけばよかった。アメリカもソ連という対抗軸があるときは日本のおんぶ抱っこを許していたが、それが崩壊すると日本を敵対視するようになった。
アメリカから突き放され日本は自分で自分の道を探さないといけなくなった。そのころ戦後復興期を支えてきた戦後創業経営者が引退する時期と重なってきた。入れ替わり登場したのが学校秀才の人たちである。
東芝は原発事業が東日本大震災の結果、失敗だと分かった時点で撤退すればここまでひどくならなかったはずだが、売り上げをごまかす道を選んだ。シャープも日産も三菱自動車も神戸製鋼も成績をごまかす道を選んで墓穴を掘った。学校成績至上主義に対し学生として勉強とカンニングのどちらが楽かという問題と同じである。
明治維新の改革は問題をごまかしてもどうにもならないということが分かっていた勤皇の志士の死に物狂いの文明開化であったし、戦後焼け野原の中で地に落ちた日本の経済を立て直すにはやはり死に物狂いの製品開発と世界への販路開拓だった。嘘をついたりごまかして何とかなるものではない。事実をもとに徹底的に顧客満足を求めた。その成果がソニーであり、ホンダである。
そうやって死に物狂いの努力の傍らで、日本の学校は成績至上主義で決まったことを決まった通りに覚えればそれで事足れりとしていた。そうやって少年時代を覚えることで成功体験を積み重ねて好成績を上げてきた人たちがいま日本の支配階層に陣取って日本を泥沼に引き込んでいる。
一方Bには成績不良として劣等感を植え付け、就職も出世も不利を強いられ、非正規雇用として低収入の泥沼にあえぐことになる。そこから抜け出すための努力の方法も知らない。
AやBの一部が自ら意識改革をして泥沼から抜け出すことができるが、日本の場合既存大企業の既得権が強すぎ、日本の未来を変えるほどの力を持てるものは少ない。
これで日本がよくなるはずがない。我々は先代が積み上げてきた資産の上で理屈をこねまわしているだけなのだ。その資産はあと20年ほどで食いつぶされ発展途上国に分類されるだろう。
これを解決するには学校を解体するしかない。近代になって、工場で人が並んで作業するとか、大勢の軍隊が戦うために意識改革するために学校を作った。今はオートメーション工場には人が数人しかいないし、軍はコンピュータで近代化されていて頭数がいても戦えない。命令一下そろって作業することもない。次の時代の仕事は高度な知識を駆使するか、誰でもできる単純作業しかない。
幼少時に特に大事なことはコミュニケーション能力だ。特に小学生の時は朝から晩まで友達と遊んでいたほうが力が付く。昔から子供は遊びを通して社会性や正義感、交渉力、創造力を育んできた。知識に関していえば小学校時代遊び惚けていた子が中学生になってから小学校の教科書を開いて勉強をしたら半年ですべて理解できたという実験結果もあるそうだ。
小学校は即刻なくし2歳から12歳まで保育園とすればいい。中学からはアクティブラーニングなどを活用し、さらに入学も退学も転校も自由、テストはすべて廃止すべき。そうすれば日本の子どもたちは地力があるから、世界有数の知的レベルにすぐ到達できるようになるだろう。
これからのAIの時代を豊かにするためには、強制は害悪にしかならない。
学校へ行くことで子どもたちは自信喪失になり自己を確立できず、それを何とか補償しようと自分の意識を日本にまで拡大し、日本最高ということで自信を持てない自分をごまかしているのだろう。確かに世界を回ると日本の安全や清潔さは世界でも有数だとは思うが、どの国にもいいところがあり、困ったところを抱えている。日本は世界でほぼ唯一経済力が低下している先進国で、先達が多少たくわえを作ってくれたのでかろうじて現状を維持しているだけだ。子どもの5人に一人が貧困児童と言われるようになった現実の厳しさを認識すべきである。