2013年5月22日水曜日

若者の夢

15~34歳の世代で死因の第1位が自殺となっているのは先進7カ国では日本のみだそうだ。世代を通じても日本の自殺は異常に高い。日本の青少年のいじめや体罰、大人でも倒産など、比較的簡単に自死に至る。日本は宗教的に自殺に対する罪悪感が薄いというのはあるだろうが、それにしても自殺がこれほど多いということは何かしら日本独特の原因があると考えることができるだろう。

なぜか?、それを考えてみたい。

2013年5月17日金曜日

英語について考える


私は英語が苦手である。

それでも7月にはアメリカに家族を連れて行くつもりだ。妻も息子もほとんど英語が話せないので私におんぶにだっこである。その私が英語を苦手としている。

それで、練習のため英会話喫茶なるところにに行って、そこの人から上手だと褒められた。先方の営業的お世辞であると受け取っておくけど何とか話はできた。

私の父は英語が流暢で仕事で外国人と日常的に話をしていた。まだ小さい私に英語を教えるといって張り切っていたが、私が「もうお父さんに教わるのは嫌だ」と言い出して止めてしまった。

今となってはとっても惜しいことをしたと後悔している。

その後学校を通して英語は苦手なままであった。それでも何とかしようと英語の本はかなり買ったが最後まで読み切れないでどれも積んである。(挫折の歴史である)
それにも懲りずにマークピーターセン氏が書いた「実践、日本人の英語」という本を本屋で買った。この本が面白かったので「日本人の英語」と「続日本人の英語」をアマゾンで買って読み切り、次に「痛快!コミュニケーション英語学」を頼んでいて、届くのを待っている。

この本を読んで、生まれて初めて英語やアメリカ人の考え方が少しわかってきた、と同時に面白いと感じた。若い時この人から教わっていたら人生はまるで変っていたかもしれないと思ったが、私より若い人だからありえないことだけど。^ ^;

私が英語が苦手になったのは一つは親や学校の教え方がうまくなかったせいだと思っている。いずれも覚えられない私に叱責や赤点で責めるだけで、教え方を工夫する気は全くなかった。(人のせいにすな!と言われそうだが)

人には何でもすぐ覚えられる人と何度も繰り返さないと覚えられない人がいる。早いか遅いかはともかくどちらにしても覚えれば使えるようになる点では同じ事だは誰も考えない。責めたてることで覚えると考えていることが不思議でならない。

ひょんなことで作ったパソコンのソフトが売れて、この際だからとアメリカに語学留学に行った。その前は外国人を見るといつも凍り付いていた。語学留学というとたいそうな感じに受け取れるかもしれないが、たった2か月テキサスの大学の「外国人のための英語教室」で教わっただけなので、英語教育全体から見れば歯糞みたいなものに過ぎない。

その街には日本人はたった一人しかいなくて英語が話せないと食事すらできなかった。教室では英文法から何から授業はすべてが英語で(あたりまえだけど)、最初の授業では頭が真っ白になっってしまった。その後もついていくのに必死だった。しかも寮に入って巨魁な黒人と同室になり毎日英語で話をせざるをえなかった。(相手にしないで勉強していると怒って手あたり次第ものを投げてる)

そんな中で2か月過ごすと日常の生活には困らなくなった。3年もいたらアメリカで暮らすことも不可能ではないと思ったが、事情あって2か月でそこを離れてニューヨークに移動した。そこでは日本人がごろごろしていて日本人同士で遊んで歩くほうが忙しかったので英語はそれ以上うまくなることはなかった。

日本に帰ってきてからは、英語を必要としない仕事をしていたので、まったくというぐらい英語を使うことはなかった。それでも28年たった英会話喫茶では英語はそれほど忘れていなかったのは不思議なことだ。


英語留学で学んだことは英語で話をするときに英作文なんてやっている暇はないということ、英語で聞いたらそのまま英語で考えながら答えないと会話にならないということだった。
日本の学校のように英語を日本語にして、答えを英作文していると会話が途切れてしまい相手にしてくれない。同じ意味で日本の英会話教室も大同小異で役に立たない。

相手の言うことをすぐ真似して言い、間違えていたら相手が指摘してくれるし、そしたら直せばいい。これを何度も繰り返しているとだんだんコツをつかんできた。

私は日本で10年勉強するより日本人のいないりアメリカの田舎に2か月いるほうが英語が使えるようになると思っている。そういう意味で日本の学校の英語教育はさっぱり役に立たないだけでなく、英語学習の障害になっていると思う。

最大の理由は学校制度にある。

学校では何千人もの子どもたちに個性の差などないかのように同じ速度で覚えることを強要している。次に日本の学校の英語教育は英語を使って生活もしたことがない教師が誰かに教わった通りに教えて、それと違う表現を間違えと決めつけている。これが日本人の間違えた英語がはびこる原因になっている。このことはマーク・ピーターセンの著書に詳しい。また、明治維新以来の英文読解に重点を置きすぎていて外に打って出ていくという気迫にかける。

英語は手段でしかないので、日本人が教えていることが間違えていると思う。いま日本では外国人教師は日本人英語教師の助手でしかない。そして日本人教師の教える英語の間違えを指摘すると嫌がられるのでみんないやになって国に帰ってしまうとのことだ。その結果日本人の英語は国際的に最低レベルを維持している。

子どもは人口の20%だが、未来の100%だ」と言ったのはイギリスのブラウン首相だったが、今の子ども達はいずれ日本を背負って世界を相手に仕事をすることになる。その子供たちの英語の力は先進国の中で最低水準に終始している。

私は今後20年の間に日本経済は衰退の一途をたどり、まともな生活をするには世界を相手にするしかなくなると思っている。にもかかわらず日本の子ども達は強制的に「覚えるほど使えなくなる英語」を毎日勉強している。世界に通用しているのは日本を見限ってアメリカに留学したか、外国人の仕事を選んだ人たちだけである。

繰り返すが、私は自分の子どもの将来を考えると学校教育にゆだねる危険を冒すことはできない。あまりに画一的で、閉鎖的で、自己保身的で、子ども達のそして日本の未来を考えていないと思うからである。

私が息子にとてもブロークンな英語と忘れかけてる算数と数学を教えている。最近は漢字に興味が移って漢字の書き取りを教えてほしいといっている。

私は決して無理強いしないことと叱らないこと、わからないと何度でも同じことを教える。それでもわからない時は分かるまでさかのぼって教え直すことにしている。英語はもう教えられなくなってきて、アメリカのM君からスカイプを使って教わっている。息子はそれが楽しみになっているようだ。

私たちがアメリカに行く目的は息子の将来を見据えてのことである。