2011年6月28日火曜日

かな漢字

このところ急に息子が文字に興味を持ち初めて、毎日教えろとうるさく言ってくる。私の考えでは興味を持たない子どもに教える必要はないということで、息子が2歳の頃、フラッシュを使って文字を教えて以来、ほとんど教えていなかった。10歳ぐらいになれば興味を持つかなと眺めていた。

フラッシュは2,3ヶ月しか続かなかったが世の中に文字というものが存在し、多くの物は言葉で表現でき、そこには漢字もかなも数字もあるのだというのを知るにはとても役に立ったような気がする。


2歳から5歳ぐらいまでは絵本の読み聞かせが毎晩で、結構大変だった。6歳ぐらいから一人で漫画を読み始めて4月になって毎日家にいるようになると、とっかえひっかえ漫画本を出してきて一人で読んでいるようになった。

やれやれ絵本も卒業かと思っていたら、歴史と科学の漫画が気に入って全巻買わされた。ママぽよとイナズマイレブンもついでに

そうなると科学や歴史にやたらと詳しくなってきて、知識では親が太刀打ちできなくなってきた。金閣寺を作ったのはだれと突然言われても大工さんというと、何だ知らないんだと来る。そんなこと知らなくても、仕事に困らないもんと言い返すが、どうも説得力がない。 

それがここのところ文字に興味を持ち始めた。

読むほうはともかく、書くことは全くやろうとしなかった。だからつい数か月前まで、鏡文字を平気で書いていた。でも、漢字が書けないことがどうも気に入らなくなったようで、字を教えてと言ってきた。

それで試しに平仮名を書いてもらったら、所々書けない文字がある。いくつか指摘して練習したが、すぐ飽きてしまうので漢字を教えることにした。

小学校では1年生で80文字、6年間で1000文字ほど教えることになっている。前にも書いたが、なんで学校では歳ごとに決まった数の漢字を教えるのかよくわからない。
集中して同じ文字を繰り返し書いても努力の割に覚えられないだろう。時間や日にちを置いて何度も書く方がよほど覚えやすいと私は思った。だから一つの漢字は間違えていない限り一回しか書かない。ちなみに私も「薔薇」という漢字を何回覚えてもしばらくすると忘れる。必要なければ覚えないが、必要な文字は必ず覚えるという経験則を持っている。

例えばにんべんの文字を本や辞書を繰って探して見つけた文字を書く。それを10文字ぐらいやったら、次にわかんむりをまとめて探して書く。それぞれの言葉の意味や音と訓をそれぞれ説明する。
木へんをやっているとき木の種類が次々出てきたが、杉のとき、上杉謙信の杉かとか、楠のときは楠正成かと聞いてきた。草かんむりのときは「落」がガリレオの落下実験だと言った。


伝え聞くところでは小学校低学年では訓読みしか教えないそうだ。だから看板の文字が読めないと言っていた。一つ漢字教えたらその訓読み、音読み、熟語とまとめて教えたほうが子どもにとっても漢字のイメージを捕まえやすいと私は思うのだが。

書き順もうるさく言わない。本人の書きやすいように書かせる。私の経験でも書き順の間違えに気づいたらそのとき数回書くことで直り、癖にはならないと思う。 

それからカナの由来を説明したら、「そうなっているのか」とものすごく感激していた。

息子の場合は学校の勉強方向とは逆に進んでいる。考えてみれば中国から漢字が来て、それからカナを作ったのだから、この方が理にかなっているような気がするがどうだろう。

このまま一日1時間の勉強が続けば多分2年もあれば6年間で学ぶ漢字は全部書けるようになるだろう。---続けば---でもなかなか興味が続かないのが悩ましいところではある。

それでも飽きている子どもに無理やり教え込んでもほとんど効果がない。教える側も教わる側も時間の無駄と思う。

2011年6月16日木曜日

リリアン

息子が突然リリアンで編み物を始めた。
たしか私が子供のころにもあったと思うが、
女子がやっているのを見たが男の子がやっているのを見たこともない。
私もやったことはないし、やっているのを目の前で見たのも初めてだ。

ホームスクールやっていると揶揄する子もいないから
気の向くままどこまでもやっている。

私は爺さんだし、男と女に関して頭では同じだと思っていても、
目の前でリリアンをいじっている息子を見るとつい引いてしまう。
不思議なものだ。


閑話休題
学研くるみの木3で子どもが幸せな天才に育つ!ホームスクールと題し
興味深いことが書かれてあったので、引用したい。
--古い雑誌ですぐに手が入らないと思うから引用してもいいでしょう。

そこに「ホームスクールで学ぶ子どもは成績優秀!?」とあった。
アメリカのデータだそうだが、小学校1年からの12年間の平均的な発達指数を集計したもの。ホームスクールの子どもたちは全学年で得点が高い。
 テストやカリキュラムがないから当然でしょうね。



 
アメリカの各科目において、公立校の子どもたちの得点を50点とすると、ホームスクールの子どもは全科目でそれを上回る成績を上げている。
だからアメリカの有名大学ではホームスクールを出た子どもを優先的に入学させているそうだ。



ホームスクールの子はほとんどテレビを見ないのに、学校へ行っている子どもの3分の1ぐらいは4時間以上みている。一体、いつ遊んでいつ勉強するのでしょうか。
私もテレビの害を何回も言っているが、それを見事に売らずけるデータだと思う。



ホームスクールで教える家庭の親は総じて高学歴であるようだ。学歴がある親ほど学校教育に不十分さを感じているようだ。








子どもが多い家庭では学費もばかにならないし、親が教えるとしても子どもが多いほうが効率もいいと言えるだろう。


「学研くるみの木 Vol3
子どもが幸せな天才に育つ!ホームスクール本田健」より

この雑誌は子どもの視点で素晴らしい記事を書いていたが、わずか3号で廃刊になってしまった。本当にいい雑誌が続かないで、受験だとか進学だとか子どもを痛めつけることばかりに偏った雑誌が多く売れていることに危機感を覚えてしまう。

2011年6月9日木曜日

神について

私は無神論だ。
家を建てる時も地鎮祭もしなかった。
寺に行っても賽銭を上げることすらしない。
当然ダーウィンの進化論を信じている。

一方、クリスチャンの方たちは神を信じている。
信じているという点からいえば神を信じるか進化論を信じるかで
大差はないように見えるかもしれない。
 でも、私から見るとこの差はとてつもなく広くて深い。

私が信じている進化論はあくまで今現在の仮説でしかない。
進化論を否定する科学的証明があれば好んで読み、
その結果、進化論を捨てるかもしれない。

つまり、科学というのは常に反論と批判に耐えてきた歴史を持っている。
そのため、まれに定説が覆されることもある。

一方神は信じるしかない。
信じる者は救われるだ。
死後の世界も天国も地獄も誰として証明できまい。
神父なり、牧師なりにここで天国を見せてくれと言っても
サタンめ去れ」と言うしかないだろう。

これはどの宗教も大同小異だと思う。
今の大乗仏教ではない仏陀の説いた原始仏教だけは別だ。

つまり、神を信じると言うことはその部分を見ないと言うのと等しい。
神の存在を盲目的に信じることでしかキリスト教は成り立たない。
と思っている。


これは子どもを育てていくにあたって、大変危惧すべきことだ。
子どもに対し、この点は疑ってはいけないと教えることにはなりはしないか。

そうなると、世の中には疑いを持ってはいけない部分があると言うことになり、
現象や状況に対し盲目であると言うことは、科学的思考法が身につかない。

ホームスクールをやる親の多くはクリスチャンが多い、
学校教育では進化論を教えるため、キリスト教の教えと違うと
いう主張は理解できるが、私とは相入れない。


片や、今の学校は疑うことを教えない。
1+1がなぜ2なのか、 誰がそう決めたのかと疑っていては
授業にならないと言うのは理解できるが、私の思想とは違う。

私は思う。
世の中には信じていいものは一つもない。
自分自身も含め、すべてを自分の頭で疑え。 
疑いを突き詰めて行く中から真理が見えてくる。

 子どもにはそう教えていくつもりだ。

2011年6月7日火曜日

パソコンゲーム

最近息子がまたパソコンのネットゲームをやり始めた。
ホームスクールを始めてからやりたいと言わなくなったので
忘れたかと思っていたが、退屈するのかまた始めた。

ここが難しいところだ。
私はテレビやテレビゲームが好きではないので、
息子がパソコンにしがみついているのを見るのも気に入らない。

かといって、それを止めさせると、どのように表現しても
やるべきことを強要することになる。
それなら、学校へ行くのと何ら変わりがない。

一応説得して時間制限はしているけど、
ゲームをやることが子どもの成長にいいことだとは思えない。 
(注)子どもの時期に仮想現実に過剰に接しているとリアルな現実の裏付けのない空理空論に依存するようになり、概念の形成に不可欠な生活体験と科学知識の組み立てに齟齬をきたすようになる。

一方自分はプログラマーだから、家からパソコンを片付けるわけにもいかない。
息子にすれば親父がパソコンにしがみついているように見えているだろう。

こっちにすれば仕事だから仕方ないと思うが、
俺はいいがお前はだめというのはどうにも説得力に欠ける。

さらに困るのは、ネットゲームをやっていると
一応言葉や算数の勉強になっている。

無理やりやらされているわけではないので、
結構理解している。

ピアノやバイオリンや水泳の教室に行ったらと言うと、
 教室と名のつくところにはいかない。
と断固として拒否された。 

それにしても6歳児が一人でパソコンにしがみついている姿は気になる、

試行錯誤が続く…

2011年6月6日月曜日

あやとり

息子は一人でいると退屈だといって私のところでごろごろしている。
朝から晩まで相手をしていると私も仕事にならないけど、
ホームスクールをさせているのだからほうっておくことも出来ない。
石蹴りをしたり、図書館や本屋に行って、立ち読みしたりしている。

この間、妻も一緒に本屋で見ていたら妻が息子にこれどうと聞いている。
私と息子が覗いてみたらあやとりの本だった。

ほしいというので買って帰ったが、息子がはまってしまった。

結構長い時間あやとりを妻と本を見ながらやっている。

退屈だといわれなくなったのは結構なことだが、
男があやとり?と思わなくも無い。

やり方を聞かれてもさっぱり分からない。

妻はといえば子どものころの事で忘れたといったが
綾取りを手に取るとあっという間にいくつか作って見せていた。
自転車とおんなじだね、体が覚えているものは忘れないんだ。

 他にもフェルトで作る野菜や寿司を妻に作ってもらって喜んでいる。

男とか女とか考えるのは、古いというか、性差別というか、分からないが、
学校に行くことで周りから冷やかされたり、からかわれて
出来なくなるのであって、性本来の性質ではないのかもしれない。
と思った。